蔵主町
青森県弘前市の町
蔵主町(くらぬしちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8345。2017年6月1日現在の人口は138人、世帯数は83世帯[1]。
蔵主町 | |
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北緯40度36分32.52秒 東経140度28分11.42秒 / 北緯40.6090333度 東経140.4698389度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 弘前市 |
人口 | |
• 合計 | 138人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
036-8345 |
市外局番 | 0172[2] |
ナンバープレート | 弘前 |
地理
編集大浦町の裏手に位置し、長坂町と南北に並走する筋道の町。町域の北部は亀甲町、東部は長坂町、南部は東長町、南西部は下白銀町、西部は大浦町に接する。
歴史
編集- 正保3年 - 町屋とある(津軽弘前城之絵図)。
- 慶安2年 - 当地の中央を東西に流れる二階堰を境に、南部は「くろうず町」、北部は「くろうず町下町御小人町」と分けられる。「くろうず町」は23軒に屋敷割りされ、小売商や、屋号のある商家。「くろうず町下町御小人町」は少禄の武家屋敷町で20軒の屋敷(弘前古御絵図)
- 寛文13年 - 町屋は無くなり、町名は侍町となる(弘前中惣屋敷絵図)。
- 延宝5年 - 二階堰の南が上蔵主町、北は下蔵主町となる。また、史料によっては蔵人町(くろうず町)と表記される(弘前惣御絵図)。
- 元禄9~10年・宝永2~4年 - 武家屋敷の郭外移転により、上・中級藩士の屋敷街に変わる。
- 享和3年 - 武家屋敷18(御家中町割)。
- 明治初年 - 蔵主丁と呼ばれ、「黒主」とも書かれた。町域は「長三丁四十六間二尺、巾三間」とあり、戸数16(国誌)。
- 1871年(明治4年) - 当地に菊池九郎が一時期滞在。
- 1875年(明治8年) - 菊池九郎宅を集会所として弘前基督教会を設立。
- 1901年(明治34年) - 当地に第一高等女学校開校。
- 1960年(昭和35年) - 当地にあった弘前実業高校跡地に弘前合同庁舎が建設される。
沿革
編集- 江戸期 - 弘前城下の一町。
- 明治初年~明治22年 - 弘前を冠称。
- 1889年(明治22年) - 弘前市に所属。
施設
編集教育
編集医療
編集- 板垣歯科医院
行政
編集- 弘前合同庁舎
- 青森県弘前合同庁舎別館
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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蔵主町 | 全域 | 弘前市立時敏小学校 | 弘前市立第一中学校 |
交通
編集中央高校前(ためのぶ号 津軽藩ねぷた村経由 - りんご公園線)停留所。
脚注
編集- ^ a b “オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
参考文献
編集角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)