蔦木宿(つたきじゅく)は、甲州街道江戸から数えて四十二番目の宿場。現在の長野県諏訪郡富士見町落合に位置する。江戸から45里30町、隣の茅野市金沢から3里4町に位置する。

概要

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甲州街道が国界橋釜無川を越えて、信州に入って最初の宿場である。慶長20年(1615年)頃から計画的に造営され、宿場の長さは4町30間で、東西の桝形の間に一直線に伸びており、現在は西側の桝形が当時の形をとどめている。

『甲州道中宿村大概帳』によれば総家数は105軒、本陣は1軒、脇本陣なし、問屋場は2軒、旅籠は15軒であった。本陣は「大阪屋」を屋号とする有賀家で、問屋役は15日交代で人馬を継ぎたてた。

明治13年(1880年)の明治天皇巡幸の際は、小休憩所となった。明治40年(1917年)、渡辺千秋子爵が本陣の建物を買い取り、価格改富士見高原の南原山の別荘「分水荘」に移築したが、昭和50年代に老朽化のため取り壊された。本陣の表門は元治元年(1864年)の火災後に新築され、平成2年(1990年)に同町の歴史民俗資料館[1]に保存され、同4年(1992年)に本陣跡地に復元された。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 富士見町ホームページ
  2. ^ 長野県高等学校歴史研究会著『長野県の歴史散歩』山川出版社1994年発行ISBN 978-4634292000 参照

参考文献

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  • 木村幸治著『街道物語16 甲州街道』三昧社 1982年. NCID BN06908781 
  • 大高利一郎著『街道を歩く 甲州街道』揺籃社 2009年ISBN 978-4897082745

外部リンク

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