蔣超良
蔣 超良(しょう ちょうりょう、ジャン・チャオリャン、1957年8月 - )は、中華人民共和国の官僚・政治家[1]。湖南省湘潭専区湘陰県汨羅出身。中国共産党第18期中央委員会候補委員、第19期中央委員会委員。交通銀行董事長(会長)、国家開発銀行行長、中国農業銀行董事長(会長)、吉林省人民政府省長、中国共産党湖北省委員会書記、省人大常委会主任などを歴任した。
蔣 超良 | |
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生年月日 | 1957年8月(67歳) |
出生地 | 中国湖南省湘潭専区湘陰県汨羅 |
出身校 |
湖南大学 西南財経大学 |
所属政党 | 中国共産党 |
在任期間 | 2016年10月29日 - 2020年2月13日 |
在任期間 | 2014年9月5日 - 2016年11月17日 |
蔣超良 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 蔣超良 |
簡体字: | 蒋超良 |
拼音: | Jiǎng Chāoliáng |
経歴
編集1974年12月より湖南省岳陽市の工芸美術廠で労働鍛錬。
1983年に湖南財経学院(現在の湖南大学)を卒業後、同年、中国農業銀行に入局。在任中の仕事振りは、当時の副行長戴相竜からも賞賛された。
1997年、アジア通貨危機が発生した後、蒋超良は相次いで中国人民銀行の深圳支店と広州支店に派遣された。
2000年6月、中国人民銀行行長助理、党委委員兼弁公庁主任、党委弁公室主任、工会工作委員会主任に就任。
2002年9月、1993年4月、湖北省に移り、副省長に任命される。
2004年1月、国務院は国有独資商業銀行に対して株式改造を行う。同年5月、交通銀行董事長、党委書記に任命。
2008年9月、国家開発銀行党委員会副書記、副董事長兼行長を担当した。中国農業銀行を離れて15年が経過した2011年11月に中国農業銀行に戻り、項俊波に代わって中国農業銀行董事長を務めた[2]。
2014年8月、党務に転じて吉林省に赴任し、吉林省党委員会副書記に就任した。その後、省長代理を経て、同年10月29日には正式に吉林省省長兼省党委副書記に就任した。
2016年10月、湖北省党委書記に転じた[3]。湖北省党委書記は前任の李鴻忠が9月に天津市党委書記へ異動した後、空席となっていた[4]。翌年1月には湖北省人大常委会主任を兼任[5]。
2019年末より湖北省にてCOVID-19が流行し始め、収束する気配のない中、2020年2月13日に湖北省党委書記を更迭された[6]。
2020年3月5日、第13期湖北省人民代表大会常務委員会は30日の第15回会議で、蒋超良省人大常委会主任の辞任を受理した[7]。
脚注
編集- ^ 中川孝之 (2020年1月31日). “中国本土の感染者8121人…SARSの世界感染数超える”. 読売新聞. オリジナルの2020年3月4日時点におけるアーカイブ。 2022年11月28日閲覧。
- ^ “王洪章、蒋超良分別出任建行和農行董事長” (中国語). 中新網. (2012年1月16日) 2020年2月4日閲覧。
- ^ “湖北省委主要負責同志職務調整” (中国語). 新華社. (2016年10月29日) 2020年2月4日閲覧。
- ^ “湖北省トップに蒋超良氏 吉林省省長”. 日本経済新聞. (2016年10月29日) 2020年2月4日閲覧。
- ^ “蒋超良当選湖北省人大常委会主任,王曉東当選湖北省省長” (中国語). 澎湃新聞網. (2017年1月20日) 2020年2月4日閲覧。
- ^ “中国共産党、湖北省トップを更迭-後任に応勇上海市長”. ブルームバーグ. (2020年2月13日) 2020年2月13日閲覧。
- ^ “蒋超良辞去湖北省人大常委会主任職務” (中国語). 澎湃新聞網. (2020年3月5日) 2020年3月6日閲覧。
- ^ 張迪 (2021年8月20日). “蒋超良新職明确” (中国語). 新浪 2021年8月20日閲覧。
ビジネス | ||
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先代 殷介炎 |
交通銀行董事長 2004年5月 - 2008年9月 |
次代 胡懐邦 |
先代 陳元 |
国家開発銀行行長 2008年9月 - 2011年11月 |
次代 鄭之傑 |
先代 項俊波 |
中国農業銀行董事長 2011年11月 - 2014年8月 |
次代 劉士余 |
公職 | ||
先代 巴音朝魯 |
吉林省人民政府省長 2014年 - 2016年 |
次代 劉国中 |
党職 | ||
先代 李鴻忠 |
中国共産党湖北省委員会書記 2016年 - 2020年 |
次代 応勇 |
議会 | ||
先代 李鴻忠 |
湖北省人民代表大会常務委員会主任 2017年1月 - 2020年3月 |
次代 応勇 |