蒲田宝塚・テアトル蒲田

蒲田宝塚から転送)

テアトル蒲田(テアトルかまた)及び蒲田宝塚(かまたたからづか)は、東京都大田区西蒲田にあった映画館。それぞれ1950年1955年開業。かつて映画館が集まっていた蒲田地区に最後まで残った常設館だったが、2019年にいずれも閉館した[1]

テアトル蒲田・蒲田宝塚
Kamata Takarazuka/Theatre Kamata
地図
情報
正式名称 テアトル蒲田、蒲田宝塚
完成 1950年
開館 1950年7月14日
開館公演夢は儚なく』(野村浩将監督)
閉館 2019年9月5日
最終公演アルキメデスの大戦』(山崎貴監督)
収容人員 (2館合計)643人
設備 ドルビーステレオDLP Cinema
用途 映画上映
運営 東京蒲田文化会館
所在地 144-0051
東京都大田区西蒲田7-61-1
東京蒲田文化会館4階
位置 北緯35度33分43.41秒 東経139度42分42.72秒 / 北緯35.5620583度 東経139.7118667度 / 35.5620583; 139.7118667 (テアトル蒲田・蒲田宝塚)座標: 北緯35度33分43.41秒 東経139度42分42.72秒 / 北緯35.5620583度 東経139.7118667度 / 35.5620583; 139.7118667 (テアトル蒲田・蒲田宝塚)
最寄駅 蒲田駅
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概要

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大田区西蒲田の「東京蒲田文化会館」の4階にあった。各館とも2階席が存在したが、末期には作品の初日(特にファミリー向け作品)以外はほとんど使用されていなかった。

以前は同ビルにイトーヨーカドーが出店していたが2004年に撤退、閉館時点では肉のハナマサツルハドラッグ、100円ショップセリアなどが入居していた。

歴史

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1950年(昭和25年)7月14日、蒲田西口商店街繁栄の策として商店街150軒が出資した蒲田西口連合映画株式会社の直営でテアトル蒲田が開館。開館番組は東宝映画「夢は儚なく」。

1955年(昭和30年)12月1日、蒲田宝塚劇場が杉山権蔵の経営により隣接して開館。「青い果実」(青柳信雄監督)より東宝映画封切館となり、テアトル蒲田は洋画系となったが、翌1956年(昭和31年)、テアトル蒲田をテアトル東映に変更。東映特選番組を上映する。

1963年(昭和38年)、2館を休館して建て替え工事を行い、翌1964年(昭和39年)6月、新築なった東京蒲田文化会館4階に移り、館名をテアトル蒲田・カマタ宝塚に変更した。

1995年蒲田パレス座が閉館して以降、2002年平和島シネマサンシャインビッグファン平和島内)がオープンするまでは大田区内で唯一の映画館[注 1]であった。この頃には関東地方を含む日本各地でシネマコンプレックスが相次いで開業。隣県の神奈川県川崎市中心部では既存のチネチッタに加え、TOHOシネマズ川崎2003年)と109シネマズ川崎2006年)がオープンし、競争が激化していた。

2010年代に入ると3Dデジタルブームに舵を切る映画上映のデジタル化が進んだ一方、それを断念して廃業する単館映画館も相次いだが、蒲田宝塚とテアトル蒲田は2013年10月にDLP Cinemaプロジェクターを導入し、デジタル上映へと移行。一度は廃業の危機を脱した2館であったが、築半世紀を経て老朽化が進んだこと等を背景に、2019年8月29日をもって蒲田宝塚が閉館(閉館番組は「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION[1])。同9月5日をもってテアトル蒲田が閉館(閉館番組は「アルキメデスの大戦[1])となり、69年間の歴史に幕を閉じた[3]

閉館翌年の2020年(令和2年)にコロナ禍が始まったこと等もあってか、2024年時点で建物解体の目途は立っていない[4]2023年11月11日には、移動映画館「キノ・イグルー」主催によるイベント『いつも映画館のことばかり考えてる人のために。』が当館跡地で行われ、片桐はいり須藤蓮がゲスト出演した[5]。翌2024年11月3日にも同様のイベントが開かれており[6]、訪れた女優の久保田和泉は「丸一日中映画館にいられて幸せだった」と感想を述べている[7]

データ

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  • 所在地:東京都大田区西蒲田7丁目61-1 東京蒲田文化会館4階
    開館当時の同区蒲田御園町1-25
  • 経営者:杉山権三(1964年時点)→杉山謹三郎(1998年時点)→杉山良雄(閉館時点)
  • 支配人:松島春定(1964年時点)→大谷津博(1966年時点)→亀井昭彦(1998年時点)→山崎久司(閉館時点)
  • 観客定員数
    • 蒲田宝塚:352席(1964年)→386席(1966年)→339席(閉館時。うち1階席が279席、椅子の色は青)
    • テアトル蒲田:352席(1964年)→450席(1966年)→428席(1998年)→304席(閉館時。椅子の色は赤)

脚注

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注釈

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  1. ^ キネカ大森は同区内にあるJR大森駅近くに所在しているが、住所としては品川区南大井とされている[2]

出典

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  1. ^ a b c “キネマの天地・蒲田から映画館が消える 「テアトル蒲田」「蒲田宝塚」相次ぎ閉館”. Jタウンネット東京. (2019年9月4日). https://j-town.net/tokyo/news/localnews/294005.html?p=all 2020年4月25日閲覧。 
  2. ^ キネカ大森”. 港町キネマ通り (2019年3月). 2024年8月1日閲覧。
  3. ^ 森愛 (2019年9月5日). “【蒲田最後の映画館テアトル蒲田が本日幕を下ろします】キネマの天地・蒲田の想いはいつまでも!”. もり愛 OFFICIAL BLOG. サイバーエージェント. 2024年8月1日閲覧。
  4. ^ "【蒲田温泉郷】⑦キネマの街". 出没!アド街ック天国. 13 January 2024. テレビ東京. 2024年8月1日閲覧
  5. ^ 9時間半にわたる映画イベントが蒲田で開催、須藤蓮や片桐はいりのトークショーも”. 映画ナタリー. ナターシャ (2023年11月7日). 2024年8月1日閲覧。
  6. ^ “閉館した蒲田の映画館が11月3日に限定復活「テアトル蒲田」と「蒲田宝塚」昨年に続いてイベント”. 東京新聞 (中日新聞社). (2024年10月28日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/362614 2024年11月18日閲覧。 
  7. ^ 久保田和泉 [@izumin_dayoo] (2024年11月4日). "昨日はキノ・イグルーproduce「いつも映画館のことばかり考えている人のために。vol.2」に行って来ました". X(旧Twitter)より2024年11月18日閲覧

外部リンク

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