董鴻禕

中華民国の政治家

董 鴻禕(とう こうい)は中華民国の政治家。北京政府で主に教育部門の要人となった。達甫恂士

董鴻禕
プロフィール
出生: 1878年光緒4年)
死去: 1916年民国5年)3月
中華民国の旗 中華民国
出身地: 清の旗 浙江省杭州府仁和県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 董鴻禕
簡体字 董鸿禕
拼音 Dǒng Hóngyī
ラテン字 Tung Hung-I
和名表記: とう こうい
発音転記: ドン ホンイー
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事績

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1900年光緒26年)とその翌年に、庚子辛丑併科挙人となる。学部候補主事となった後、日本に留学する。1904年(光緒30年・明治37年)に早稲田大学邦語政治科を卒業した[1]。その直後に蔡元培と知り合い、中国同盟会に加入している。

中華民国成立後、北京政府教育総長となった蔡元培の下で、董鴻禕は教育部秘書長に就任する。1912年民国元年)7月、教育部次長に昇進した。翌年5月、趙秉鈞内閣で教育総長代理となる。段祺瑞臨時内閣を経て、熊希齢内閣の9月まで、その地位にあった。1914年(民国3年)5月には、平政院庭長に就任している。

1916年(民国5年)3月、病没。享年39。

  1. ^ 早稲田大学校友会(1934)、487頁。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和十年用』早稲田大学校友会、1934年。 
   中華民国北京政府
先代
陳振先
教育総長(代理)
1913年5月 - 9月
次代
汪大燮