葛西晴清
戦国時代の大名。伊達稙宗の七男。従四位下左京太夫。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永正14年(1517年) |
死没 | 天文16年(1547年) |
別名 | 牛猿丸(幼名) |
氏族 | 伊達氏、 葛西氏 |
父母 | 父:伊達稙宗、母:不明、養父:葛西晴重 |
兄弟 | 伊達晴宗、大崎義宣、実元、玄蕃丸、宗澄、桑折宗貞、葛西晴清、梁川宗清、村田宗殖、極楽院宗栄、亘理綱宗、亘理元宗、大有康甫、七郎、屋形御前(相馬顕胤室)、女(蘆名盛氏室)、女(二階堂照行室)、女(田村隆顕室)、女(懸田俊宗室)、越河御前(相馬義胤室) |
生涯
編集永正14年(1517年)、陸奥国の戦国大名・伊達稙宗の子として誕生。
陸奥葛西氏に入嗣し、養父の葛西稙清が急死すると、家中では反伊達氏の機運が高まる中、実家の威勢をもって家督を継いだと思われる。
程なく伊達氏では稙宗・晴宗父子が争う天文の乱が発生し、父の稙宗側へ与、晴宗側へ与した叔父・葛西晴胤と領内抗争を繰り返した。