落合町 (瀬戸市)
愛知県瀬戸市の地名
落合町(おちあいちょう)は、愛知県瀬戸市下品野連区の町名。丁番を持たない単独町名である。
落合町 | |
---|---|
北緯35度15分12.2秒 東経137度7分26.7秒 / 北緯35.253389度 東経137.124083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 瀬戸市 |
地区[1] | 下品野連区 |
町名制定[2] | 1965年(昭和40年)5月1日 |
面積 | |
• 合計 | 0.254841016 km2 |
標高 | 187.5 m |
人口 | |
• 合計 | 389人 |
• 密度 | 1,500人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
480-1205[6] |
市外局番 | 0561(瀬戸MA)[7] |
ナンバープレート | 尾張小牧 |
地理
編集瀬戸市の中央北部に位置する[8]。西を八床町、北を北丘町・広之田町、東から南を品野町と隣接している[8]。
河川
編集- 水野川[8] : 町の南端から西端にかけての町境付近を西流している。
- 寺前川(水野川支流) : 町の東部を南流し、水野川に注ぎ込んでいる。
- 落合川(水野川支流) : 町の中央部を南流し、水野川に注ぎ込んでいる。
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[10]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 瀬戸市立下品野小学校 | 瀬戸市立品野中学校 | 尾張学区 |
歴史
編集町名の由来
編集尾張徇行記に「又片草川ト鳥原川ト本郷ノ東北ニテ落合ヘリ、ココニ農屋数戸アリ、即落合島ト云」とあるように、かつてこの地は落合島といい、それが字名・町名となったと推察される[11]。
沿革
編集世帯数と人口
編集2024年(令和6年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
落合町 | 239世帯 | 389人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 452人 | [12] | |
2000年(平成12年) | 339人 | [13] | |
2005年(平成17年) | 435人 | [14] | |
2010年(平成22年) | 418人 | [15] | |
2015年(平成27年) | 418人 | [16] | |
2020年(令和2年) | 374人 | [17] |
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 138世帯 | [12] | |
2000年(平成12年) | 121世帯 | [13] | |
2005年(平成17年) | 185世帯 | [14] | |
2010年(平成22年) | 178世帯 | [15] | |
2015年(平成27年) | 159世帯 | [16] | |
2020年(令和2年) | 167世帯 | [17] |
交通
編集鉄道
編集町内に鉄道は走っていない。最寄り駅は名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅になる。
バス
編集- 道の駅しなの - しなのバスセンター - 上半田川転回場 系統が走っているが、町内にバス停はない。最寄りのバス停は、しなのバスセンターバス停・北丘町南バス停になる。
道路
編集施設
編集- 久雲寺[8] : 曹洞宗[18]。本尊は釈迦牟尼如来、脇仏として薬師如来、阿弥陀如来を祀る[18]。開創は奈良時代(神亀2年)に行基によってなされたとされ、1621年(元和6年)に雲興寺14世居雲宗準大和尚によって開山した[18]。山門前に念仏塔2基、青面金剛像などがたつ[8]。
- 神明社[8] : 旧下品野村の氏神であり、その由緒には「社伝明らかならずも、本朝元中七年(1390)後亀山天皇の御世創設」とある[19]。洲原・山上・津島・白山・天神・貴布禰各社を合祀しており、西には天白社・陶祖社が並んでいる[8]。
- ビレッジハウス落合 : 元・落合雇用促進住宅。1号棟から4号棟までがあり、1・2号棟は1972年(昭和47年)2月に、3・4号棟は同年10月にそれぞれ建築[20][21][22][23]。いずれも鉄筋コンクリート造、5階建、全40戸[20][21][22][23]。
- 工房・ギャラリー燄 : 陶芸作家・波多野正典氏による陶芸ギャラリー[24]。瀬戸地方の伝統釉薬を現代に活かした深みのある作品が特長で、少人数制の体験教室も行っている[24]。
- 品野児童遊園 : 神明社に併設されている公園。ブランコ・すべり台・鉄棒がある。
- 落合城址(史跡) : 「寛文記」によると東西53間・南北45間の大きさで、応永頃は戸田弾正宗繁、文明頃は長江修理が城主だったといわれる[25]。城畑と呼ばれる山麓部にはかつての空堀・土居・古井・礎石が残っている[25]。
その他
編集日本郵便
編集脚注
編集出典
編集- ^ “町丁名一覧【連区別】” (PDF). 瀬戸市 (2023年11月2日). 2024年2月10日閲覧。
- ^ a b 瀬戸市 1965.
- ^ “愛知県瀬戸市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2022年12月28日閲覧。
- ^ “瀬戸市の標高&海抜”. 標高海抜ナビ (2018年). 2022年11月23日閲覧。
- ^ a b “人口と世帯 令和6年2月1日現在” (PDF). 瀬戸市 (2024年2月5日). 2024年2月10日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2022年12月28日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1696.
- ^ “町名別通学学校名一覧” (PDF). 瀬戸市 (2023年9月16日). 2024年2月10日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2022年12月28日閲覧。
- ^ 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 2020, p. 177.
- ^ a b 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b c “久雲寺 - Setopedia”. 瀬戸市 (2015年4月6日). 2022年12月28日閲覧。
- ^ “石燈籠(神明社) - Setopedia”. 瀬戸市 (2015年4月6日). 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b “ビレッジハウス落合1号棟の賃貸情報”. 株式会社LIFULL. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b “ビレッジハウス落合2号棟の賃貸情報”. 株式会社LIFULL. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b “ビレッジハウス落合3号棟の賃貸情報”. 株式会社LIFULL. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b “ビレッジハウス落合4号棟の賃貸情報”. 株式会社LIFULL. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b “工房・ギャラリー燄 - せと・まるっとミュージアム”. 瀬戸市観光協会. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b “落合城址 - Setopedia”. 瀬戸市 (2015年4月6日). 2022年12月28日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. p. 17. 2022年12月28日閲覧。
参考文献
編集- 瀬戸市 編『昭和40年5月1日施行 町名設定調書(品野地区)』瀬戸市、1965年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 編『郷土史研25周年誌-瀬戸・尾張旭の寺社・街道・地名-』瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会、2020年。