菊池長四郎
菊池 長四郎(きくち ちょうしろう、1853年1月19日(嘉永5年12月10日[1]) - 1920年(大正9年)8月28日[1][2])は、明治から大正時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴
編集江戸出身[2]。儒者、大橋訥庵の子として生まれ、先代菊池長四郎の養子となる[1]。日本橋元浜町で呉服店佐野屋を経営する[1]。1889年(明治22年)東海銀行(第一勧業銀行の前身行のひとつ)を設立し頭取となったほか、八千代生命保険、富士製紙、東洋モスリンなどの取締役を歴任した[1]。ほか、1888年(明治21年)日本橋区会議員、東京府会議員、東京商業会議所議員などを務めた[2]。
1897年(明治30年)東京府多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[3]、2期目在任中の1907年(明治40年)8月26日に辞任した[2][4]。
家族
編集脚注
編集参考文献
編集- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。