菅野継門
菅野 継門(すがの の つぐかど)は、平安時代初期の貴族。氏姓は中科宿禰のち菅野朝臣。官位は従五位下・備前介。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・備前介 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 中科宿禰→菅野朝臣 |
兄弟 | 弟門?、継門、直門? |
経歴
編集従七位下・左少史の官位にあった承和元年(834年)兄弟と思しき諸陵少允・中科直門らと共に中科宿禰から菅野朝臣に改姓する。承和2年(835年)少外記、承和8年(841年)大外記と仁明朝前半は外記を務める。
承和9年(842年)外従五位下・和泉守に叙任されると、嘉祥2年(849年)三河守と仁明朝後半は地方官を歴任し、和泉守在任中の承和10年(843年)には同国の校田使次官を務めている。
文徳朝の仁寿4年(854年)内位の従五位下に叙せられると共に大外記に再任されるが、『外記補任』において当時六位の大外記であった賀茂岑雄に「六位局務事」と記されており、継門は大夫外記でありながら局務の任を務めていなかった可能性が指摘されている[1]。文徳朝末の天安2年(858年)備前権介次いで備前介に任ぜられて地方官に転じた。
官歴
編集『六国史』による。