荒川俊治
日本の実業家
荒川 俊治(あらかわ としはる、1948年2月27日[1] - )は、日本の実業家。エス・バイ・エル(現ヤマダホームズ)元代表取締役社長。サンコンサルティング株式会社代表取締役。
あらかわ としはる 荒川 俊治 | |
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生誕 |
1948年2月27日(76歳) 愛知県大府市 |
出身校 | 名城大学農学部 |
職業 | 実業家 |
人物
編集- プロフィール
- 愛知県大府市出身。1960年大府市立吉田小学校を卒業、1963年大府市立大府中学校を卒業、1966年愛知県立刈谷工業高等学校機械科を卒業し、1966年愛知機械工業に入社[2]。1968年に名城大学農学部へ入学、1972年に卒業。同年4月、株式会社東名サービスに造園、外構設計士として入社するが、営業兼務を経て営業専任となる。1976年積水ハウスに入社。2002年に執行役員、2004年常務執行役員、2006年取締役常務執行役員に就任。その営業実績をかわれ、2009年9月にエス・バイ・エルに入社、同年12月より代表取締役社長に就任。2013年5月28日に退任した。2013年11月28日サンコンサルティング株式会社を設立。代表取締役就任。農業・宿泊事業・貿易事業を通して、社会の様々な課題に取り組む。
エピソード
編集伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 20歳
- ゴムボートに乗っていた子どもが沖に流され、泳いで助ける。自分の命を捨てる覚悟があれば、相手を救えること(大抵のことは何でもできること)を学ぶ。[8]
- 株式会社東名サービス時代
- 名古屋大学農学部、門田正也教授(当時は助教授)の指導を受け、後に大手企業二社で工場緑化の受注に成功。[3]
- あららぎ高原カントリークラブ(現、あららぎカントリークラブ)の起工式にて、高松宮殿下を名古屋駅から長野県あららぎ高原カントリークラブ(現、あららぎカントリークラブ)へ車で先導。
- 25歳
- 独身で結婚式の大役・仲人(媒酌人)を任される。その結果、仕切りっぷりを見込まれ京都の作庭家重森三玲に弟子入りしている息子を実家に戻るように説得して欲しいと頼まれ、京都へ向かい説得。これが野村勘治と出会いであり、以降現在に至るまで親睦を深める。[9]
- 積水ハウス入社10年目
- 経営陣(社長・取締役を含む全ての幹部社員約500名)の前で、「皆様にお願いがあります。皆さんは幹部社員です。幹部社員は常に部下に夢を与え続けなければなりません。」と社員に夢を与えるのが、経営陣の大切な役割であると退職覚悟で熱弁を吐く。[3]
経歴
編集経営観
編集- 企業とは人材(人財)を育成し、幸せに導き、人材(人財)の成長に依り、企業の成長に繋がる。そして社会の公器となり、地域・社会に貢献する。[3]
- 協力会社との関係は運命共同体であり、車の両輪である。親会社、下請けの関係ではなく、互いに守り合うが依存せず、それぞれの責任を果たす。[11]
- 心正しき判断とは、先ず法を遵守、次に顧客、社員、協力会社を守ることを優先することで、自社を守るのはその次である。[12]
- 絆を重視 エス・バイ・エルの代表取締役に就任後、企業理念に絆を掲げる。その後、東日本大震災に見舞われ、日本中に絆の大切さが認識される。[13]
- ES=CS ESを重視する考え方はCSも重視する。つまり同質である。[14](ES=Employee Satisfaction(従業員満足)、CS=Customer Satisfaction(顧客満足度))
- 好きな言葉は、上杉鷹山の「為せば成る為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」[15]
番組出演
編集- ニュース番組
- NNN Newsリアルタイム・サタデー(2010年2月13日、日本テレビ) - “鬼”の新社長 ライバル社から就任
- 特集 汐留リーダーズEYE(2010年2月15日、日テレNEWS24) - #17 エス・バイ・エル株式会社 社長荒川俊治 [16]
著書
編集著者山川修平氏の取材に協力して『住宅産業界の鬼才』の出版に至る。[3]
- 『住宅産業界の鬼才』山川修平 三一書房、2014年10月17日、ISBN 978-4-380-14901-6
脚注
編集- ^ This Week 2/27-3/4 社長の誕生日 週刊ダイヤモンド 2012年3月3日号
- ^ 『積水ハウスのヒューマン営業』三島俊介/ダイヤモンド社 1984年8月2日 2063-407680-4405
- ^ a b c d e f g h 『住宅産業界の鬼才』山川修平/三一書房 2014年10月17日号
- ^ [1]interview 荒川俊治 エス・バイ・エル社長に聞く プレハブ住宅のSXL新社長は元"積水ハウスの社長候補" 月刊BOSS 2010年4月号
- ^ 決断のとき 荒川俊治氏[エス・バイ・エル社長"住宅人生"全うのために 日経ビジネスNo.1541 2010年5月17日]
- ^ 「私の休日」讀賣新聞 2011年2月5日夕刊 8面
- ^ 「まるさんかくしかく」ひと 積水ハウスグループ誌Vol.449 2007年8月号 / 『住宅産業界の鬼才』山川修平/三一書房 2014年10月17日号
- ^ 「まるさんかくしかく」ひと 積水ハウスグループ誌Vol.449 2007年8月号 / [2]インタビュー(動画)エス・バイ・エル株式会社 荒川俊治 「命を懸けて掴む大成」大阪の社長TV 2012年 /『住宅産業界の鬼才』山川修平/三一書房 2014年10月17日号
- ^ 「まるさんかくしかく」ひと 積水ハウスグループ誌Vol.449 2007年8月号 / 友愛の庭 荒川俊治/野村勘治 プレジデント PRESIDENT 2010年5月31日号 / 『住宅産業界の鬼才』山川修平/三一書房 2014年10月17日号
- ^ 企業価値を落とした社長 高めた社長 経営トップの通信簿240社 週刊東洋経済第6366号 2011年12月17日号
- ^ 「21世紀をデザインする NEW TREND 21(ニュー・トレンド21)」静岡新聞 2003年8月17日朝刊 30面 / 『住宅産業界の鬼才』山川修平/三一書房 2014年10月17日号
- ^ [3]インタビュー(動画)エス・バイ・エル株式会社 荒川俊治 「荒川俊治の美学」大阪の社長TV 2012年 /『住宅産業界の鬼才』山川修平/三一書房 2014年10月17日号
- ^ 26日、横須賀展示場にて 最新不動産ニュース 株式会社不動産流通研究所 2011年 / 福島敦子のアントレプレナー対談 No.38 SHANIMU(シャニム)38号 2012年3月5日 / 『住宅産業界の鬼才』山川修平/三一書房 2014年10月17日号
- ^ 「創業60周年を超えて、次のエス・バイ・エルへ。」すまいりんぐレターVol.30 2011/SUMMER 60周年特別記念号 2011年7月20日発行 / エス・バイ・エル社長--この会社の立て直しは俺しかできない | インタビュー - 東洋経済ONLINE(オンライン)」2009年12月23日 / 『住宅産業界の鬼才』山川修平/三一書房 2014年10月17日
- ^ 「建設・商社・生活 新社長」日刊工業新聞 2010年12月21日
- ^ [4]「汐留リーダーズEYE」MC井田由美ブログ