草野俊助
草野 俊助(くさの しゅんすけ、1874年(明治7年)3月2日[1] - 1962年(昭和37年)5月19日)は、日本の植物学者、病理学者である[2][3]。東京大学名誉教授[1]。理学博士[1]。
経歴
編集東京帝国大学(現在の東京大学)卒業後[4]、1925年(大正11年)に母校の同大学教授として活動する[2][注釈 1]。同大学勤務中は教鞭を執る傍ら主に菌類の研究に携わり[2][3]、1933年(昭和8年)に壺状菌類の生活史に関する研究に携わったことで帝国学士院賞(東宮御成婚記念賞)を受賞し[3][4]、同院の会員となった[3]。
また帝大に勤務中の1931年(昭和6年)には東京文理科大学(後の東京教育大学、現在の筑波大学)の教授としても活動し[3]、1937年(昭和12年)の定年退官まで両大学教授を兼務する[3]。没後は佐藤玄々や今野源八郎[6]、相馬恵胤と共に相馬市の名誉市民に認定された[6]。
人物
編集家族・親族
編集- 草野家
- 親戚
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 『大衆人事録 第20版 東京篇』く334頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c “草野俊助”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2024年2月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g “草野俊助”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン). 2024年2月4日閲覧。
- ^ a b c “草野 俊助”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ). 2024年2月4日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第12版 上』ク30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b “名誉市民”. 相馬市ホームページ. 2024年2月4日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第20版 東京篇』帝国秘密探偵社、1958年。