茂森町
青森県弘前市の町
茂森町(しげもりまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8217。2017年6月1日現在の人口は391人、世帯数は197世帯[1]。
茂森町 | |
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北緯40度35分50.2秒 東経140度27分35.66秒 / 北緯40.597278度 東経140.4599056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 弘前市 |
人口 | |
• 合計 | 391人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
036-8217 |
市外局番 | 0172[2] |
ナンバープレート | 弘前 |
地理
編集歴史
編集- 慶安2年 - 屋敷割りが72軒され、煙草屋48・大工5、居鯖4のほかに、屋号を持つ商家も見られる(弘前古御絵図)。
- 延宝6年 - 重森町と見え、町屋が大部分で75軒。座頭・武士の居住が認められる(弘前町方屋敷割)。
- 延宝7年 - 町内の4組が、町役の中役、もう1組が下役で、年間約4.500人の人足を負担。
- 元禄4年 - 町内の芝居小屋で酒田出身の小太夫による芝居が始まる(津軽歴代記類)。
- 元禄11年 - 土取り場とある(弘前惣御絵図)。また、北から順に茂森町・中茂森町・奥茂森町と、区分されている(弘前惣御絵図)。
- 正徳年間 - 城下の4か所の小札場(制札場)の1町に指定されている(弘前町方屋敷割裏書記録)。
- 享保7年 - 芝居小屋の夜の興行が始まる(弘前市史)。ちなみにこの芝居小屋は、のちに"茂森座"と呼ばれるようになり、1940年(昭和15年)まで存続。
- 天保8年 - 絵図によれば、町屋129軒・芝居小屋1軒。
- 明治初年 - 戸数301で、町の状況は「芝居座・造酒・料理・茶屋・荒物・狛物雑居」と見える(国誌)。
- 現在 - 店舗の改装・改築等で様相は変わったが、禅林街門前・商家街というスタイルは江戸期と変わらない。
沿革
編集地名の由来
編集現在の森町付近にあったとされる茂森山に由来。当時弘前城を見下ろすほどの高さだったため、元和元年に削られ、無くなる。
施設
編集医療
編集- 吉田医院
- くどう歯科
- 渡辺歯科医院
- 木村内科厚生会館
- かわむら歯科医院
- 木村内科小児科医院
商業
編集- ローソン弘前茂森町店
- カネタ玉田酒造店
- サンパレス秋田屋
- 葛西米穀燃料店
- イシオカ工芸
- 田中や葬祭
- 佐藤燃料店
- 中屋のこや
- 亀岡生花店
- 宝屋袋店
工業
編集- ヨコヤマ堀江工務所
金融
編集- 東奥信用金庫茂森支店
行政
編集- 弘前市水道部
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
大字 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
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茂森町 | 全域 | 弘前市立朝陽小学校 | 弘前市立第四中学校 |
交通
編集覚仙町角、茂森町、茂森南口(弘前バスターミナル - 相馬・藍内・ロマントピア線、他)停留所。
脚注
編集- ^ a b “オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
参考文献
編集角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)