苦海浄土
『苦海浄土―わが水俣病』(くがいじょうど・くかいじょうど)は、水俣病患者を題材とする、1969年に出版された石牟礼道子の作品。水俣湾に排出された工業廃水に含まれた汚染物質で生じた奇病の苦しみと患者の尊厳を表現している[1]。
苦海浄土 わが水俣病 | |
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中央が苦海浄土 | |
訳題 | Paradise in the Sea of Sorrow: Our Minamata Disease |
作者 | 石牟礼道子 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 私小説、ノンフィクション、ルポタージュ |
シリーズ | 水俣三部作 |
初出情報 | |
初出 | 『サークル村』1960年 |
刊本情報 | |
出版元 | 講談社 |
出版年月日 | 1969年1月 |
総ページ数 | 294 |
受賞 | |
大宅壮一ノンフィクション賞(※受賞を辞退) | |
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いくつかの雑誌連載を経て、1969年1月、講談社から刊行された[2][3]。後に発表された『天の魚』『神々の村』と合わせて三部作を構成する[4]。
作品の成立
編集著者の石牟礼道子は、故郷を襲った惨禍を知ったことから水俣病患者からの聞き書きを開始したという[1]。
出版された『苦海浄土』の全7章は、第1章から順番に書かれたのではなく、第3章の「ゆき女きき書」に当たる部分から誕生し、そこを核として書かれた[7]。
原型となる作品は1960年から「サークル村」で発表された[8][9]。1960年に1月に「サークル村」で発表された初期の短編作品は「奇病」と題されたものの、「水俣湾漁民のルポルタージュ」とも銘打たれており、1965年から1966年12月から1966年12月に「熊本風土記」で「海と空のあいだに」の題で断続連載された[9][10][12]。その後、「奇病」は第5話「海と空のあいだに――坂上ゆきのきき書より」と改題され、『苦海浄土――わが水俣病』に収録された際に再度「ゆき女きき書」と改題された[10]。
『苦海浄土』は水俣三部作の第一部という位置づけであり、1974年に書かれた第三部『天の魚』、2004年に出された第二部『神々の村』と続き、続編も予定されていた[13]。
内容
編集- 第二章 不知火海沿岸漁民
- 東京大学大学院生だった宇井純が現代技術史研究会の『技術史研究』に富田八郎(とんだやろう)のペンネームで連載した「水俣病」[14]の一部を石牟礼は引用。石牟礼は、水俣病の最初の発見者として、新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場附属病院長の細川一の名を挙げている[15]。
- 1959年11月2日に行われた不知火海沿岸漁民総決起大会と水俣市内デモ行進、それに続く工場への乱入、警官隊との衝突が詳細に綴られている[16][17]。
- 第七章 昭和四十三年
- 1959年12月30日、新日本窒素肥料(現・チッソ)は水俣病の責任を認めないまま、水俣病患者と家族でつくる「水俣病患者家庭互助会」と「見舞金契約」を結ぶ[18]。見舞金は当時としても極端に低額であった[19]。石牟礼は契約の条項を細かく記すとともに、企業ならびに政府の姿勢を厳しく批判した(『苦海浄土』が出版されてから4年後、熊本地裁は水俣病第1次訴訟判決で見舞金契約を「公序良俗に反する」として無効とした[19])。
ここにまことに天地に恥ずべき一枚の古典的契約書がある。新日本窒素水俣工場と水俣病患者互助会とが昭和三十四年十二月末に取りかわした〝見舞金〟契約書である。(中略)『乙(患者互助会)は将来、水俣病が甲(工場)の工場排水に起因することがわかっても、新たな補償要求は一切行わないものとする』
これは日本国昭和三十年代の人権思想が背中に貼って歩いているねだんでもあるのである。
(中略)
新潟水俣病も含めて、これら産業公害が辺境の村落を頂点として発生したことは、わが資本主義近代産業が、体質的に下層階級侮蔑と共同体破壊を深化させてきたことをさし示す。その集約的表現である水俣病の症状をわれわれは直視しなければならない。人びとのいのちが成仏すべくもない値段をつけられていることを考えねばならない[20]。 — 石牟礼道子『新装版 苦海浄土 わが水俣病』講談社文庫、322-324頁。
評価
編集しばしば「私小説」と評されており[9][10][21][22]、石牟礼自身は1972年にこの作品を「浄瑠璃のごときもの」と表現した[23]。
1970年には第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選定されたものの、石牟礼は辞退した[24]。受賞を辞退した理由として石牟礼は「今なお苦しんでいる患者」がいるのに自分一人が受賞すべきではないと述べた[9]。批評家の若松英輔は、著者がその作品の真の作者ではない(体験者が居る)から受賞に抵抗があったのではないかと推測した[7][1]。武田徹は、患者からの聞き書きではなく石牟礼が患者を代弁して書いた作品であるため、ノンフィクションとは言い難いと考える[9][25]。
池澤夏樹はこの小説を「現代世界の十大小説」の一つとし[26]、『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』にも収録した[27]。
映画
編集苦海浄土 | |
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監督 | 木村栄文 |
原案 | 石牟礼道子 |
原作 | 苦海浄土 |
ナレーター | 北林谷栄 |
出演者 | 北林谷栄 |
編集 | 木下淳介 |
上映時間 | 49分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
1970年に『苦海浄土』は木村栄文の監督で映像化され、RKB毎日放送で放送された。第25回芸術祭大賞を受賞[6]。
キャスト
編集スタッフ
編集出版
編集- 『苦海浄土 わが水俣病』講談社、1969年1月。
- 『苦海浄土 わが水俣病』講談社文庫、1972年12月。
- 『新装版 苦海浄土 わが水俣病』講談社〈講談社文庫〉、2004年7月15日。ISBN 978-4062748155。
- 『苦海浄土 わが水俣病』河出書房新社〈池澤夏樹編 世界文学全集 Ⅲ-04〉、2011年 ISBN 978-4-309-70968-0
- 『苦海浄土 全三部』藤原書店、2016年 ISBN 9784865780833
- 各・第一部「苦海浄土」、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」を収録
- Livia Monnet翻訳(英語): Paradise in the Sea of Sorrow : Our Minamata Disease, Yamaguchi Pub. House (1990) ISBN 9784841108033
- Livia Monnet翻訳(英語): Paradise in the Sea of Sorrow : Our Minamata Disease, Volume 25 of Michigan Classics in Japanese Studies (2003) ISBN 9781929280254
脚注
編集- ^ a b c “名著58 「苦海浄土」:100分 de 名著”. www.nhk.or.jp. 2021年2月7日閲覧。
- ^ 道子, 石牟礼 (1969). 苦海浄土 : わが水俣病. 東京: 講談社
- ^ “不知火のほとりで 石牟礼道子の世界/15 告発”. 毎日新聞. (2014年11月23日) 2021年9月25日閲覧。
- ^ 石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」
- ^ “苦海浄土|MOVIE WALKER PRESS”. MOVIE WALKER PRESS. 2021年3月13日閲覧。
- ^ a b 丹羽美之 七沢潔 制作者研究 〈テレビ・ドキュメンタリーを創った人々〉 【第6回】 木村栄文(RKB毎日放送) ~ドキュメンタリーは創作である~
- ^ a b 若松英輔. “『苦海浄土』とは何か”. www.nhk.or.jp. 2021年2月7日閲覧。
- ^ 新装版 苦海浄土 2004, p. 359.
- ^ a b c d e 日本大百科全書(ニッポニカ),デジタル大辞泉. “苦海浄土とは”. コトバンク. 2021年2月7日閲覧。
- ^ a b c 武田徹. “第2回 大宅賞は辞退から始まった②――尾川正二『極限のなかの人間』、石牟礼道子『苦海浄土』”. Web中公新書|中央公論新社. 2021年2月7日閲覧。
- ^ 渡辺京二「地方誌編集者の出会い」、日本エディタースクール『本の誕生』所収
- ^ 『熊本風土記』の編集者渡辺京二によると、「海と空のあいだに」の連載は石牟礼の持ち込みで始まった。渡辺自身は「『苦海浄土』の誕生に対し、編集者として何の働きもしていない」[11]。
- ^ “石牟礼さんのスピーチに会場が凍り付いた 『新装版 苦海浄土』”. J-CAST BOOKウォッチ (2021年1月28日). 2021年2月7日閲覧。
- ^ 新・宇井純物語 盛大に告別式環っ波
- ^ 新装版 苦海浄土 2004, pp. 91–92.
- ^ “熊本日日新聞1959年11月3日「漁民、またも暴力沙汰、水俣/工場内に再度乱入/警官と衝突、百余人が負傷」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月24日閲覧。
- ^ 新装版 苦海浄土 2004, pp. 98–137.
- ^ “熊本日日新聞1959年12月31日「水俣病補償金、一ヶ月ぶりに調印/物価変動にもクギ/一時金、千三百万円受け取る」”. 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971. 熊本大学附属図書館. 2021年9月24日閲覧。
- ^ a b “見舞金契約”. 西日本新聞. (2012年10月5日) 2021年9月25日閲覧。
- ^ 新装版 苦海浄土 2004, pp. 322–324.
- ^ “『苦海浄土』とは何か──水俣病患者たちの声なき声 | NHKテキストビュー”. NHKテキストビュー | 生活に役立つNHKテキストの情報サイト. 2021年5月10日閲覧。
- ^ 渡辺京二「石牟礼道子の世界」、1972年11月9日(『新装版苦海浄土』、講談社文庫、2004年収録)
- ^ 新装版 苦海浄土 2004, p. 362.
- ^ INC, SANKEI DIGITAL. “【巨編に挑む】苦海浄土 溶かされた魂はどこへ?”. 産経ニュース. 2021年2月7日閲覧。
- ^ 武田徹『現代日本を読む』「第1章 大宅賞は辞退から始まった」
- ^ 池沢夏樹『現代世界の十大小説』NHK出版、2014年12月。ISBN 978-4-14-088450-8。OCLC 900620677。
- ^ 石牟礼道子『苦海浄土』河出書房、2011年。ISBN 978-4-309-70968-0。
参考文献
編集- 石牟礼道子『新装版 苦海浄土 わが水俣病』講談社〈講談社文庫〉、2004年7月15日。ISBN 978-4062748155。
- 若松英輔『100分de名著 石牟礼道子 苦海浄土 悲しみのなかの真実』NHK出版、2019年。