若森倫次郎
若森 倫次郎(わかもり りんじろう、1910年(明治43年)8月26日[1][2] - 2002年(平成14年)4月24日[要出典])は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。旧姓は村岡[1][2]。
経歴・人物
編集台北市築地町に生まれる[2]。1925年(大正14年)12月、旧岡部藩士の若森家(本籍・東京市牛込区弁天町)に入籍し、姓を改める[2]。台北高等学校を卒業[3]。1933年(昭和8年)3月、台北帝国大学文教学部を卒業し、翌年10月、高等試験行政科に合格[1]。同年、台湾総督府交通局逓信部書記に就任した[3]。
1937年(昭和12年)11月に地方理事官に進み、嘉義市助役となり、のち台南州斗六郡守に転じた[1]。その後は、高雄州教育課長、殖産局鉱務課勤務、専売局参事、樟脳課長、煙草課長などを歴任した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 太田肥州 編『新台湾を支配する人物と産業史』台湾評論社、1940年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。