台北高等学校 (旧制)

日本の旧制高等学校
台北高等学校(旧制)
創立 1922年大正11年
所在地 大日本帝国の旗 台湾台北州台北市古亭町216番地
初代校長 松村傳
廃止 1945年
後身校 中華民国の旗 国立台湾師範大学
同窓会 蕉葉会

旧制台北高等学校(きゅうせいたいほくこうとうがっこう、旧字体舊制臺北高等學校)は、1922年(大正11年)3月31日[1]、当時日本の支配下にあった台湾において設立された7年制の官立旧制高等学校。略称は「台高」(「湾高」とも)。

国立台湾師範大学行政大楼
校舍が台北高等学校時代のもの(但し三階部分は増築)

概要

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国立台湾師範大学の礼堂
(旧台北高等学校講堂中国語版

台湾総督府所管学校として設立され、外地では初の高等学校であった。尋常科および高等科(文科・理科)が設置され、7年制であった。

1935年度(昭和10年度)ごろの入学試験では、大体6割程度の得点率で入学できると言われていた[2]。卒業生の2割近くは台湾人で、その多くは理科乙類(医学部進学課程)に入学した。東京帝国大学京都帝国大学など内地の大学への進学者が多く、地元の台北帝国大学への進学者が少なかったために同大は予科を設置することになったとされる。

第二次世界大戦後、中華民国に接収され廃校。校地・校舎は現在の国立台湾師範大学に継承された。台湾師範大学の図書館に、当時の資料を集めた「台北高等学校資料室」が置かれている。講堂などの建物は台北市指定の古蹟として保存されている。卒業生により同窓会「蕉葉会」(しょうようかい)が組織されている。

沿革

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台北高等学校時代の普通教室
  • 1922年4月1日 - 台湾総督府高等学校として設立。尋常科(修業年限4年)を設置。
  • 1925年 - 文科・理科からなる高等科(修業年限3年)設置。
  • 1926年4月25日 - 古亭町(いまの住所表示は台北市和平東路一段162號)に完成した新校舎に移転。
  • 1927年5月13日 - 台湾総督府台北高等学校に改称。
  • 1943年 - 尋常科生最後の入学式。
  • 1945年10月 - 日本の敗戦に伴い中華民国に接収、台湾省立台北高級中学に改称(高級中学)。
  • 1946年6月5日 - 台湾省立師範学院(単科大学)設置、台北高級中学は同学院に併設。
  • 1949年 - 台北高級中学の学生の募集を停止。
  • 1952年 - 台北高級中学の最後の卒業式。廃校。
  • 1955年 - 台湾省立師範学院は台湾省立師範大学(総合大学)に昇格。
  • 1967年 - 台湾省立師範大学は国立へ移管され国立台湾師範大学と改名。

教職員

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校長

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台北高等学校と三沢校長。1925年頃
  • 松村伝:初代校長。台北第一中学校の校長と兼任。
  • 三沢糾:高等科設置時の校長。
  • 下村湖人:三沢の後任で台中中学校長からの昇任。そのため排斥運動が起こったとされる。
  • 谷本清心(きよむね):下村の後任。
  • 下川履信:廃校時の校長。

教員

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  • 犬養孝:国文学(万葉学)、教授。
  • 島田謹二:文学、教授。日本における比較文学研究の創始者。
  • 柴田常恵:考古学、講師。
  • 高峯一愚:哲学(カント研究)、教授。
  • 福山伯明植物学者、教授(1942 - 1946年)。台北高等学校卒業生でもあった。

著名な出身者

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1930年代の台北高校生(台北市栄町の交差点にて)

研究者

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文芸・評論界

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法曹界

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  • 有馬元治衆議院議員自由民主党)、労働事務次官
  • 小田滋国際法学者、国際司法裁判所判事
  • 川崎寛治:衆議院議員(日本社会党
  • 園部逸夫最高裁判所判事
  • 蔡章麟:中華民国の司法院大法官(台湾出身で初)、元台湾大学法学部教授、元監察委員。
  • 洪遜欣:元中華民国司法院大法官、1935年卒業、第8期、李鎮源と同期、元台湾大学法学部副教授。
  • 陳世榮:元中華民国司法院大法官。
  • 王育霖:(1919年–1947年3月31日)、台湾台南市出身、台北高等学校および東京帝国大学法学部卒業。元日本京都地方裁判所検察官、新竹市検察官。性格は真直ぐで、貪官である河南出身の新竹市長郭紹宗少将を調査したところ、逆に恨みを買い、教職に転職。台北市立建国高級中学校の教師を務めた。台湾二二八事件では、貪官に殺害され、遺体は淡水河に遺棄された。弟の王育德は言語学者であり、台湾独立運動の参加者でもあった。

医学界

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  • 魏火曜:台湾大学医学院小児科教授
  • 李鎮源:薬理学者、台湾独立運動の参加者。1935年(昭和10年)卒業、第8期。その後、台北帝国大学医学部に進学し、前台大病院院長、中央研究院院士。
  • 郭維祖:台湾の医師、翻訳家。
  • 林宗義:医学者、台湾の脳神経精神医学の先駆者であり、基礎を築いた人物。
  • 施純仁:台湾神経外科の開創者、台湾における臓器移植の先駆者、前行政院衛生署署長、国際外科学会名誉院士。
  • 魏火曜:前台大病院院長、前高雄医学大学院長、東京帝国大学医学博士。
  • 宋瑞楼:前台大医学部教授、前和信病院院長、台湾における肝疾患の父、台湾における消化器内視鏡の父、中央研究院院士。
  • 黃伯超:前台大医学部院長。
  • 陳五福:眼科医師、社会事業家、「慕光盲人再建センター」を創設。「台湾のシュヴァイツァー」または「噶瑪蘭の灯火」と呼ばれ、台北帝国大学医学部卒業。
  • 柯源卿:東京大学医学士、台大公衆衛生学科教授、産業衛生研究に従事。大同会社医務室主任を務め、1987年に退職。林挺生と台北高校時代の同級生。その息子、柯慶明は台大中国語学科及び台湾文学研究所教授。

政財界

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  • 青木茂豊橋市
  • 大原一三農林水産大臣、大蔵官僚。1945年10月卒業、第20期。辜寬敏と竹内昭太郎と同級生だった。
  • 川平朝清沖縄放送協会[3]初代会長
  • 辜振甫:台湾の財界人。
  • 佐伯喜一野村総合研究所会長、防衛庁防衛研修所長
  • 佐々木正:技術者、シャープ元副社長
  • 李登輝:前中華民国総統
  • 甲斐文比古:駐ドイツ大使
  • 吉岡英一国税庁長官日本開発銀行総裁
  • 辜寬敏:独派の大物、台湾の五大名家・鹿港辜家の一員。1945年10月卒業、第20期。
  • 徐慶鐘:前中華民国行政院副院長(1907–1996)、最初に育成された台湾の現地人農学博士,1928年卒業、第1期。
  • 劉闊才:前中華民国立法院副院長、1932年卒業、第5期。
  • 戴炎輝:前中華民国司法院院長、1930年卒業、第3期。二人の息子が戴東雄と戴東原。
  • 林金生:前中華民国考試院副院長(1916–2001)、息子は林懷民。
  • 周百鍊:前中華民国監察院副院長。
  • 黃啟瑞:前台北市市長。
  • 賴順生:前苗栗県長、前考試院考試委員。
  • 陳錫卿:前彰化県長、台湾省政府民政廳長。
  • 陳新安:前高雄県長、三人の息子が陳建榮、前中華民国副総統陳建仁、陳建德。

教育界

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  • 吳守禮:元国立台湾大学文学部教授。1930年卒業、第三期。
  • 黃得時:元国立台湾大学文学部教授。
  • 鐘浩東:曾任台湾省立基隆中学校長。台湾の白色恐怖時代、基隆市工作委員会事件で殉職。
  • 田大熊:曾任南投中学校長。


その他

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  • 王育徳:言語学者、台湾独立運動の参加者。1943年(昭和18年)に卒業後、東京帝国大学文学部に進学。
  • 黃彰輝:牧師。台湾基督長老教会の牧師で、元台南神学大学院院長。台湾独立運動の参加者。
  • 賴永祥:図書館学者。中国図書分類法の設計者。1942年(昭和17年)に卒業後、東京帝国大学法学部に進学。元ハーバード大学ハーバード燕京図書館、国立台湾大学図書館代理館長、図書館学部の部門長。

脚注

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  1. ^ 『高等学校・専門学校・大学予科入学試験問題詳解:附・入学試験要項競争率一覧 昭和11年度』(欧文社 昭和11年)の『昭和十一年上級学校生徒募集要項』p 16の『台北高等学校』には、「創立 大正十一年三月三十一日」と記載されている。
  2. ^ 『高等学校・専門学校・大学予科入学試験問題詳解:附・入学試験要項競争率一覧 昭和11年度』(欧文社 昭和11年)の『昭和十一年上級学校生徒募集要項』p 16の『台北高等学校』には、「注意事項 大体得点6割以上あれば入れる。」と記載されている。
  3. ^ 復帰前沖縄放送協会、現NHK沖縄放送局

関連書籍

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「主要高等教育機関一覧」参照

関連項目

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外部リンク

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