若柳町
日本の宮城県栗原郡にあった町
若柳町(わかやなぎちょう)は、宮城県の北部に2005年まであった町である。2005年4月1日に栗原郡の他の町村と合併し、栗原市の一部になった。
わかやなぎちょう 若柳町 | |||||
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廃止日 | 2005年4月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 (築館町、若柳町、栗駒町、高清水町、一迫町、瀬峰町、鶯沢町、金成町、志波姫町、花山村) → 栗原市 | ||||
現在の自治体 | 栗原市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 宮城県 | ||||
郡 | 栗原郡 | ||||
市町村コード | 04522-5 | ||||
面積 | 52.56 km2 | ||||
総人口 |
14,071人 (推計人口、2005年3月1日) | ||||
隣接自治体 |
宮城県 栗原郡:築館町、志波姫町、金成町 登米郡:迫町、石越町 岩手県 西磐井郡:花泉町 | ||||
町の花 | サクラ | ||||
若柳町役場 | |||||
所在地 |
〒989-5502 宮城県栗原郡若柳町字川南戸の西4番地 | ||||
座標 | 北緯38度46分06秒 東経141度07分21秒 / 北緯38.76833度 東経141.12256度座標: 北緯38度46分06秒 東経141度07分21秒 / 北緯38.76833度 東経141.12256度 | ||||
特記事項 | 世帯数:4,230世帯(2004年8月1日) | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
編集宮城県最北部で岩手県に接し、仙台平野の北に位置した。一部丘陵地帯があるが、ほぼ平坦であった。町域は南北に細長く、その中央を南東に向けて迫川が横切る。町の中心市街は迫川をはさんで南北にあり、北は若柳駅、南は町役場でおおよそ限られた。町の南端に伊豆沼があった。
沿革
編集行政
編集- 最後の町長:菅原郁夫(2000年12月11日 - )
- 歴代町長
- 昭和の合併以前
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 佐々木嘉平 | 明治26年(1893年)4月21日 | 明治33年(1900年)6月29日 | |
2 | 加藤清三郎 | 明治33年(1900年)7月3日 | 明治35年(1902年)11月12日 | |
3 | 小野寺卯太郎 | 明治35年(1902年)12月6日 | 明治40年(1907年)2月28日 | |
4 | 加藤辰蔵 | 明治40年(1907年)3月16日 | 明治40年(1907年)12月23日 | |
5 | 小野寺卯太郎 | 明治41年(1908年)2月7日 | 明治43年(1910年)4月27日 | 再任 |
6 | 加藤清三郎 | 明治43年(1910年)8月12日 | 大正3年(1914年)8月11日 | 再任 |
7 | 二階堂清太郎 | 大正3年(1914年)8月28日 | 大正11年(1922年)11月12日 | |
8 | 千田敬一 | 大正12年(1923年)1月8日 | 昭和9年(1934年)8月14日 | |
9 | 鹿野利太郎 | 昭和9年(1934年)8月18日 | 昭和13年(1938年)8月17日 | |
10 | 菅原健治 | 昭和13年(1938年)10月29日 | 昭和17年(1942年)10月28日 | |
11 | 鹿野利太郎 | 昭和17年(1942年)11月27日 | 昭和21年(1946年)11月26日 | 再任 |
12 | 三浦正吉 | 昭和22年(1947年)4月7日 | 昭和23年(1948年)10月24日 | |
13 | 鹿野運吉 | 昭和23年(1948年)12月10日 | 昭和27年(1952年)12月9日 | |
14 | 小泉清志 | 昭和27年(1952年)12月10日 | 昭和29年(1954年)11月30日 |
- 昭和の合併以後
初代 - 若見伍朗
教育
編集- 高校
- 中学校
- 若柳町立若柳中学校
- 小学校
- 若柳町立若柳小学校
- 若柳町立有賀小学校
- 若柳町立大岡小学校
- 若柳町立大目小学校
- 若柳町立畑岡小学校
交通
編集鉄道路線
編集道路
編集名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集名所
編集祭り
編集出身有名人
編集脚注
編集関連項目
編集- 日本の音風景100選:伊豆沼・内沼のマガン
- 宮城県の廃止市町村一覧