若林純
日本の経営者
若林 純(わかばやし じゅん、1948年1月19日 - )は、日本の経営者。エイチ・ツー・オー リテイリング社長を務めた。大阪府豊中市出身[1]。
わかばやし じゅん 若林 純 | |
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生誕 |
1948年1月19日 大阪府豊中市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部 |
職業 | エイチ・ツー・オー リテイリング代表取締役社長 |
経歴・人物
編集1970年(昭和45年)に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に阪急百貨店に入社[1]。2年間外商での経験を積んで以降はずっと経理部門を担当していた[2]。2000年(平成12年)に取締役に就任し、2004年(平成16年)に専務執行役員兼代表取締役となった[1]。
阪急百貨店と阪神百貨店の経営統合に伴い、阪急百貨店会長の椙岡俊一からグループ経営には最適な人材であると評価され、経営の中心を担うことになった。周囲からも「とにかく誠実」で、企業文化の異なる会社同士を融合させるにふさわしい人物とみられていた[2]。2007年(平成19年)10月からエイチ・ツー・オー リテイリング社長へ就任し、2014年(平成26年)3月まで務めた[3][4]。
在任中は個人プレーではなく、団体戦に強い百貨店を目指した[2]。阪神百貨店との経営統合のほか、髙島屋との経営統合検討やその断念、四条河原町阪急や旧神戸阪急の閉鎖、阪急百貨店うめだ本店の建て替えなどに取り組んだ。四条河原町阪急の閉鎖は2010年(平成22年)秋を予定していたが、「夏の終わりを一つの区切りにした。撤去工事の段取りもあり、お盆の後が良いと考えた」として同年夏に前倒しした[5]。エイチ・ツー・オー リテイリングが髙島屋との経営統合を2010年に中止したことには、株主の間に期待を抱かせたことへの反発もあったが、金融危機を受けた消費低迷に関して2社がそれぞれ経営戦略の質的向上を目指すことへの理解を求めた[6]。
趣味は海釣りとドライブ。妻との間に2人の息子がいる。
脚注
編集- ^ a b c 「第八十版 日本紳士録 2007年 わ12」
- ^ a b c “(新社長)エイチ・ツー・オーリテイリング 若林純氏 誠実さ定評 【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 11. (2007年5月11日)
- ^ 2007年 5月11日 日本経済新聞 朝刊 p13
- ^ H2O社長に鈴木篤氏 椙岡会長は続投2014年 2月25日 日本経済新聞
- ^ “前倒し閉店、次の顔は 河原町阪急、8月22日まで 「風格あるテナントを」/京都府”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 23. (2010年5月13日)
- ^ “統合断念に理解求める H2O、高島屋と 株主総会 【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 13. (2010年6月25日)
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