若宮八幡古墳 (東松山市)

若宮八幡古墳(わかみやはちまんこふん、下唐子3号墳)は、埼玉県東松山市石橋にある古墳。形状は円墳下唐子古墳群(うち塚原支群)を構成する古墳の1つ。埼玉県指定史跡に指定されている。

若宮八幡古墳

墳丘・石室開口部(墳頂に八幡神社本殿)
別名 下唐子3号墳
所属 下唐子古墳群(塚原支群)
所在地 埼玉県東松山市石橋2240-1(字塚原)(八幡神社境内)
位置 北緯36度1分35.22秒 東経139度22分8.72秒 / 北緯36.0264500度 東経139.3690889度 / 36.0264500; 139.3690889座標: 北緯36度1分35.22秒 東経139度22分8.72秒 / 北緯36.0264500度 東経139.3690889度 / 36.0264500; 139.3690889
形状 円墳
規模 直径34m
高さ4.5m
埋葬施設 両袖式横穴式石室(内部に石棺)
出土品 埴輪
築造時期 6世紀後半
史跡 埼玉県指定史跡「若宮八幡古墳」
地図
若宮八幡 古墳の位置(埼玉県内)
若宮八幡 古墳
若宮八幡
古墳
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概要

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墳丘

埼玉県中部、東松山台地の西縁に築造された大型円墳である。現在は墳頂に八幡神社が所在する。江戸時代に発掘されたと伝わるほか、2010-2011年度(平成22-23年度)に調査が実施されている。

墳形は円形で、直径34メートル・高さ4.5メートルを測る[1]。墳丘周囲には部分的に周溝が認められ[2]埴輪片(円筒埴輪・人物埴輪)が出土したと伝わるほか(詳細不明)[3]1988年昭和63年)の所在確認調査時に墳丘西側で円筒埴輪片が検出されている。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する。截石切組積みによって構築された整美な大型石室であり、玄室・前室・羨道からなる複室構造で、内部には石棺が据えられたと伝わる(非現存)。石室内の副葬品は明らかでない。築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[1]

古墳域は1964年(昭和39年)に埼玉県指定史跡に指定された[2]。現在では石室内への立ち入りは制限されている。

遺跡歴

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  • 慶長元年(1596年)、鶴岡八幡宮から分祀して八幡神社が鎮座と伝承[4]
  • 明和年間(1764-1772年)頃、村民が発掘し、石棺(非現存)を発見(『新編武蔵風土記稿』)[5]
  • 戦前、打木村治の小説『天の園』に「恐怖の八幡穴」として紹介[1]
  • 1964年昭和39年)3月27日、埼玉県指定史跡に指定[2]
  • 2010-2011年度(平成22-23年度)、修復保存整備に伴う調査(東松山市教育委員会、2012年に報告書刊行)。

埋葬施設

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石室内部

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:8.8メートル
  • 玄室:長さ4.28メートル、最大幅2.9メートル
  • 前室:長さ2.55メートル、最大幅2.0メートル
  • 羨道:長さ1.97メートル、最大幅1.4メートル

石室の石材は砂質凝灰岩で、截石切組積み(石の角をL字に切り込み組み合わせながら積む)によって構築される。玄室の平面形は、中央部が膨らむ胴張り形である。

江戸時代の発掘では石棺が発見されたというが、現在は失われている。副葬品も詳らかでない

文化財

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埼玉県指定文化財

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  • 史跡
    • 若宮八幡古墳 - 1964年(昭和39年)3月27日指定[2]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d 史跡説明板。
  2. ^ a b c d 若宮八幡古墳(東松山市ホームページ)。
  3. ^ 東松山都市計画事業(仮称)葛袋土地区画整理事業 環境影響評価準備書 概要版” (PDF). 埼玉県環境部環境政策課 (2012年7月3日). 2013年9月3日閲覧。
  4. ^ 東松山ふるさと自然のみち” (PDF). 東松山市 (2012年12月3日). 2013年9月3日閲覧。
  5. ^ 石橋村(平凡社) 1993.

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(東松山市教育委員会、2012年設置)
  • 中島利治「若宮八幡古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 「石橋村」『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社、1993年。ISBN 4582490115 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

外部リンク

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