花房正栄
花房 正栄(はなぶさ まさよし)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。徳川秀忠に仕え御書院番となった。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 文禄3年(1594年) |
死没 | 寛永16年10月4日(1639年10月30日) |
別名 | 、常和(法名) |
墓所 | 本所法恩寺 |
官位 | 右馬助 |
幕府 | 江戸幕府 御書院番 |
主君 | 徳川秀忠→徳川家光 |
氏族 | 花房氏 |
父母 | 父:花房正成、母:遠藤俊通の娘 |
兄弟 | 幸次、正盛、正栄、正信、順一、正堅 |
妻 | 日野輝資女 |
子 | 日野資栄、栄勝、娘(能瀬久頼室)、娘(田辺良栄室) |
概要
編集慶長19年(1614年)の大坂冬の陣・翌年の大坂夏の陣では、青山忠俊の配下なり家康方として参戦している。軍功を立てたため、戦後伏見にて黄金を賜り、江戸に帰参した後も武蔵国児玉郡・上野国群馬郡に采地1000石を賜っている。寛永9年(1632年)8月18日に使番に転じた。寛永11年(1634年)5月14日には甲斐国に采地1000石を賜ったが、同16年(1639年)10月4日に46歳で死去した。墓所は本所の法恩寺[1]。