船橋区域(ソンギョくいき)は、朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市にある行政区域の一つ。都心部の南東部にある。 なお、インドネシア茨城朝鮮初中高級学校と友好関係にある。

平壌直轄市 船橋区域
位置
各種表記
チョソングル: 선교구역
漢字: 船橋區域
片仮名転写: ソンギョ=グヨク
ローマ字転写 (MR): Sŏn'gyo-guyŏk
統計(2008年
面積: 9.179[1] km2
総人口: 148,209[1]
人口密度: 16,147[1] 人/km2
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
上位自治体: 平壌直轄市
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地図
地図

地理

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大同江の左岸にある。南西側は楽浪区域と、南は力浦区域と、東は寺洞区域と、北は東大院区域と接する。大同江を隔てて中区域と接する。

行政区域

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21洞を管轄する。

  • 江岸一洞(カンアニルトン)
  • 江岸二洞(カンアニドン)
  • 南新一洞(ナムシニルトン)
  • 南新二洞(ナムシニドン)
  • 大興洞(テフンドン)
  • トゥンメ一洞(トゥンメイルトン)
  • トゥンメ二洞(トゥンメイドン)
  • トゥンメ三洞(トゥンメサムドン)
  • 栗谷一洞(リュルゴギルトン)
  • 栗谷二洞(リュルゴギドン)
  • 戊辰一洞(ムジニルトン)
  • 戊辰二洞(ムジニドン)
  • 産業一洞(サノビルトン)
  • 産業二洞(サノビドン)
  • 船橋一洞(ソンギョイルトン)
  • 船橋二洞(ソンギョイドン)
  • 船橋三洞(ソンギョサムドン)
  • 永済洞(ヨンジェドン)
  • ウンメ洞(ウンメドン)
  • 将忠一洞(チャンチュンイルトン)
  • 将忠二洞(チャンチュンイドン)

歴史

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この節の出典[2]

  • 1946年9月 - 平安南道平壌市が平壌直轄市に昇格するとともに、東区を設置。東区に以下の里がある。(24里)
    • 大新一里・大新二里・大新三里・東大院里・東倉里・楽浪里・栗一里・栗二里・栗三里・紋繍一里・紋繍二里・船橋一里・船橋二里・船橋三里・船橋四里・松新里・新三里・新一里・新二里・梧野里・衣岩里・将進里・貞栢里・七仏里
  • 1947年 - 楽浪里の一部が平安南道中和郡南串面に編入。(24里)
  • 1950年 - 貞栢里・梧野里が合併し、貞梧里が発足。(23里)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、東区が東区域に改称。(19里)
    • 東倉里・松新里・衣岩里が北区域に編入。
    • 将進里・貞梧里が合併し、将貞里が発足。
    • 平安南道中和郡南串面の一部が楽浪里に編入。
    • 平安南道中和郡南串面の一部が分立し、豆段里が発足。
    • 新三里が新一里・新二里に分割編入。
  • 1955年2月 - 都市部のに改編。(20洞4里)
    • 紋繍二里の一部が分立し、紋新洞が発足。
    • 将貞里の一部が分立し、貞梧洞が発足。
    • 栗三里の一部が分立し、トゥンメ洞が発足。
    • 東大院里の一部が分立し、東紋洞が発足。
    • 船橋四里の一部が分立し、永済洞が発足。
    • 七仏里の一部・栗三里の残部が合併し、西浦洞が発足。
    • 船橋一里・船橋三里の各一部が合併し、江岸洞が発足。
    • 大新一里・新二里の各一部が合併し、南新洞が発足。
    • 大新二里および大新一里・大新三里・新一里・新二里・栗一里の各一部が合併し、大新洞が発足。
    • 大新一里の残部・大新三里の残部および新二里・船橋二里・船橋三里・船橋四里の各一部が合併し、大興洞が発足。
    • 東大院里・新二里の各一部が合併し、東新洞が発足。
    • 栗一里・栗二里の各一部が合併し、栗谷洞が発足。
    • 栗一里の一部が分割され、栗洞・三馬洞が発足。
    • 船橋三里の残部・船橋四里の残部が合併し、産業洞が発足。
    • 船橋一里の一部・船橋二里の残部が合併し、船橋洞が発足。
    • 船橋一里の残部・新二里の残部・新一里の一部が合併し、新里洞が発足。
    • 新一里の残部および東大院里・栗一里の各一部が合併し、新興洞が発足。
    • 栗一里の一部・栗二里の残部が合併し、将忠洞が発足。
    • 紋繍一里・紋繍二里が北区域に編入。
    • 栗一里の残部が北区域寺洞三里・松新里の各一部と合併し、北区域沼龍洞となる。
  • 1956年 (20洞6里)
    • 七仏里の一部が分立し、小新里が発足。
    • 楽浪里の一部が分立し、土城里が発足。
  • 1957年 (22洞6里)
    • 将貞里の一部が分立し、宋家洞が発足。
    • 貞梧洞の一部が分立し、貞栢洞が発足。
    • 平安南道中和郡三井里の一部が将貞里に編入。
    • 将貞里の一部が貞梧洞に編入。
  • 1958年6月 - 東大院洞・東紋洞・栗洞・紋新洞・三馬洞が北区域に編入。(17洞6里)
  • 1959年9月 - 東区域が船橋区域に改称。(18洞1里)
    • 豆段里・楽浪里・宋家洞・小新里・将貞里・貞栢洞・貞梧洞・土城里が新設の楽浪区域に編入。
    • 北区域東大院洞・紋新洞・栗洞・三馬洞を編入。
    • 北区域紋繍洞の一部が紋新洞に編入。
  • 1960年10月 (11洞)
    • 大新洞・東大院洞・東新洞・栗洞・三馬洞・新里洞・新興洞および紋新洞の一部が新設の東大院区域に編入。
    • 紋新洞の残部が大同江区域東紋洞に編入。
    • 船橋洞が分割され、船橋一洞・船橋二洞が発足。
    • 西浦洞および七仏里の一部が合併し、戊辰洞が発足。
    • 永済洞の一部が産業洞に編入。
    • 産業洞の一部が江岸洞に編入。
    • 七仏里の一部がトゥンメ洞に編入。
    • 七仏里が寺洞区域に編入。
    • 寺洞区域松新里の一部が栗谷洞に編入。
  • 1963年 (12洞)
    • トゥンメ洞の一部が分立し、トゥンメ一洞が発足。
    • トゥンメ洞の残部および栗谷洞・戊辰洞の各一部が合併し、トゥンメ二洞が発足。
    • 南新洞の一部が大興洞に編入。
  • 1965年 (17洞)
    • 船橋一洞の一部が分立し、船橋三洞が発足。
    • トゥンメ一洞の一部が分立し、トゥンメ三洞が発足。
    • 将忠洞が分割され、将忠一洞・将忠二洞が発足。
    • 栗谷洞の一部が分立し、栗谷一洞が発足。
    • 戊辰洞の一部が分立し、戊辰一洞が発足。
    • 栗谷洞の残部・トゥンメ二洞の一部が合併し、栗谷二洞が発足。
    • 戊辰洞の残部・トゥンメ二洞の一部が合併し、戊辰二洞が発足。
  • 1967年 (19洞)
    • 栗谷二洞・トゥンメ二洞の各一部が合併し、ウンメ洞が発足。
    • 南新洞が分割され、南新一洞・南新二洞が発足。
  • 1972年 (21洞)
    • 江岸洞が分割され、江岸一洞・江岸二洞が発足。
    • 産業洞が分割され、産業一洞・産業二洞が発足。
    • 永済洞の一部が楽浪区域貞梧洞に編入。
    • 力浦区域将進洞の一部が戊辰一洞に編入。
    • 戊辰一洞の一部が力浦区域将進洞の一部と合併し、力浦区域将進一洞となる。

施設

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交通

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脚注

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  1. ^ a b c NORTH KOREA: Administrative Division”. Citypopulation.de (2021年9月12日). 2022年8月19日閲覧。
  2. ^ 평양시 선교구역 역사

外部リンク

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座標: 北緯38度59分49秒 東経125度46分17秒 / 北緯38.9969度 東経125.7714度 / 38.9969; 125.7714