船戸陽子
船戸 陽子(ふなと ようこ、1974年4月23日 - )は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)に所属する女流棋士である。LPSA番号18。ソムリエの資格を持つ。高柳敏夫門下。亜細亜大学出身。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は旧25。
船戸 陽子 女流三段 | |
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名前 | 船戸 陽子 |
生年月日 | 1974年4月23日(50歳) |
プロ入り年月日 | 1988年3月17日(13歳) |
LPSA番号 | 18 |
出身地 | 東京都渋谷区 |
所属 | 日本女子プロ将棋協会 |
師匠 | 高柳敏夫 |
段位 | 女流三段 |
プロフィール | LPSA所属女流棋士 |
2021年1月21日現在 |
来歴
1986年に日本将棋連盟の女流育成会に入会し、1988年に3級で女流棋士となった(女流棋士番号は旧25)。
1年目の成績が負け越しとなり、1987年からの規定「新しく女流育成会を卒業して女流棋士になったものが、1年間公式戦を指して負け越した場合は、再び育成会に戻る」に該当し、再度の女流育成会へ[1]。1990年に女流1級として再デビュー[1]。
2008年6月30日付で日本将棋連盟を退会し[2]、2008年7月1日より日本女子プロ将棋協会(LPSA)に入会した[3]。日本女子プロ将棋協会設立当初ではなく、その後に移籍した初の例である。
2021年1月21日、第43期女流王将戦予選2回戦で鈴木環那に勝ち、女流二段昇段後90勝となったため女流三段に昇段した[4]。2023年、通算200勝を達成[5]。
2024年4月、LPSAに引退届を提出。参加中の女流公式戦対局終了をもって引退となる[6]。
人物
父の影響で将棋を始める。趣味は旅行、写真。パソコン操作などに明るく、日本将棋連盟所属時の女流棋士会のイベントパンフレットの多くは船戸によるデザインだった。
日本ソムリエ協会認定ソムリエの資格を持っている。日本ソムリエ協会のソムリエ資格受験には飲食店での数年間の実務経験が必要なため、当時は昼は女流棋士、夜はイタリアンレストランやバーの勤務を掛け持ちする生活が続いた[7][5]。また他にもカラーコーディネーター、フラワーデザイナーの資格を持っており、髪の色も変幻自在に変えるなどファッションセンスにも定評がある[7][5]。
2011年に結婚した際には、将棋になぞらえ「私は四枚穴熊に自陣に馬まで引きつけていたにもかかわらず、彼の原始棒銀に寄せ切られてしまいました」とのコメントを発表した[8]。
昇段履歴
棋歴等
- 優勝:第14回・第19回(2008年)、第26回(2009年)、第37回(2010年)、第49回・第50回(2012年)
- 2012年10月、優勝経験者のみ出場の第50回1dayトーナメントで優勝し、初代グランドチャンピオン。
脚注
- ^ a b 将棋世界 2024年1月号付録「現役棋士ポケット名鑑2023年秋版(下巻)」より。
- ^ 船戸陽子女流二段が退会|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 船戸陽子女流二段、LPSA入会のお知らせ (日本女子プロ将棋協会|LPSA|)
- ^ 『船戸陽子女流二段が女流三段に昇段』(プレスリリース)LPSA、2021年1月22日 。2021年1月22日閲覧。
- ^ a b c “船戸陽子女流三段「好きを極めて」将棋とワインソムリエの二刀流 変幻自在のスタイル”. AERA dot. (アエラドット) (2023年11月6日). 2023年11月7日閲覧。
- ^ 船戸陽子三段 引退のお知らせ - 日本女子プロ将棋協会(2024年4月22日)
- ^ a b “ソムリエ、女流棋士 船戸陽子さん 前編”. ロズリンの部屋. サンギ (2010年11月25日). 2021年1月22日閲覧。
- ^ 『所属女流棋士 入籍のご報告』(プレスリリース)LPSA、2011年8月18日。 オリジナルの2017年10月21日時点におけるアーカイブ 。2021年1月22日閲覧。
- ^ 記録室より(日本将棋連盟)
- ^ 女流棋士昇段規定.(平成12年4月1日改定・補足)
関連項目
外部リンク
- 日本女子プロ将棋協会 プロフィール
- 船戸陽子女流二段、LPSA入会のお知らせ
- YOKOFUNATO (@YOKOFUNATO) - X(旧Twitter)[リンク切れ]
- 日本将棋連盟在籍時のプロフィール(web.archive.orgによる2007年当時のアーカイブ)