自由民主連合
韓国の政党(1995〜2006)
自由民主連合(じゆうみんしゅれんごう)は、大韓民国にかつて存在した保守政党である。略称は自民連。1995年3月30日、同年2月に民主自由党を離党した金鍾泌を中心にして結成された。政治的立場は保守主義。中部の大田市・忠清北道・忠清南道を主な支持基盤とした。
自由民主連合 자유민주연합 | |
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成立年月日 | 1995年3月30日(政党登録は同年4月3日) |
解散年月日 | 2006年2月20日 |
解散理由 | 自主解散 |
後継政党 | (国民中心党) |
政治的思想・立場 | 保守主義 |
党旗 |
自民連 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 자유민주연합、자민련 |
漢字: | 自由民主聯合、自民聯 |
発音: | チャユミンジュヨナプ、チャミンニョン |
英語: | United Liberal Democrats |
沿革
編集- 1995年
- 1996年
- 4月11日 第15代総選挙において支持基盤の忠清道を中心に50議席を確保、第2野党に躍進。
- 1997年
- 1998年
- 2月25日 金大中政権発足、自民連は同政権で連立与党の一翼を担う。金鍾泌は国務総理(98年8月〜2000年1月)に就任。
- 6月4日 第2回全国同時地方選挙。地盤である忠清道などで広域自治団体長3名が当選。
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 6月13日 第3回全国同時地方選挙。広域団体長は忠清南道の沈大平候補1名のみが当選。広域議会選挙でも議席を前回よりも大幅に減らした上、比例代表区得票率では新興左派政党の民主労働党を下回るなど敗北。
- 2004年
- 4月15日 第17代総選挙で4議席しか確保できず惨敗。比例名簿1位の金鍾泌も落選し、政界引退を表明。
- 2006年
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その他
編集2004年3月9日に発議された盧武鉉大統領に対する弾劾訴追案に当初は慎重な姿勢を示していたが、3月11日に行われた大統領の謝罪会見が言い訳染みてると激怒、訴追案に賛成の立場を示す。これにより、当初成立が危ぶまれていた訴追案が、3月12日の投票の結果、賛成193、反対2という大差で可決することになった。これにより盧大統領擁護に傾いていた国民の支持を失い、一ヵ月後の総選挙で惨敗を喫する直接の原因となった。
党勢推移
編集総選挙
編集年月日 | 代 | 議席数 | 得票率[1] | ||
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合計 | 地域区 | 全国区[2] | |||
1996年4月11日 | 第15代総選挙 | 50 | 41 | 9 | 16.7% |
2000年4月13日 | 第16代総選挙 | 17 | 12 | 5 | 9.8% |
2004年4月15日 | 第17代総選挙 | 4 | 4 | 0 | 2.8% |
脚注
編集参考文献
編集- アジア動向データベース(アジア経済研究所)
- 韓国中央選挙管理委員会編『大韓民国政党史 第5輯』
- 『대한민국국회 60년사(大韓民国国会60年史)』