脇屋 利貞(わきや としさだ)は江戸時代地下官人

 
脇屋利貞
時代 江戸時代後期
生誕 安永8年9月16日1779年10月25日
死没 不明
官位 従六位上、下総介
主君 後桃園天皇光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 嵯峨源氏渡辺氏清和源氏脇屋氏
父母 父:渡辺珍之、母:鈴鹿敬芳女?
養父:脇屋利音
兄弟 渡辺珍香山口敬昌三谷諭利貞村雲主信
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妙法院に侍として仕えた。

概要

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天保6年(1835年)10月8日には57歳で従六位下・下総介に叙任された。嘉永4年(1851年)10月20日には73歳で従六位上に叙された[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 三上景文『地下家伝 第27-33 附録1・目録1 (日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)