職子女王(よりこじょおう、1745年10月19日〈延享2年9月24日〉 - 1787年1月31日〈天明6年12月13日〉)は、江戸時代中期の女性。紀州藩第8代藩主・徳川重倫の婚約者。父は有栖川宮職仁親王。祖父は霊元天皇。別名は長宮、於佐宮、愛宮。院号は霊照院。
有栖川宮職仁親王の娘として生まれる。母は菖蒲小路。紀州藩第8代藩主・徳川重倫の婚約者となるが、1769年(明和6年)に義絶[1]。そのため、重倫は正室を迎えることは生涯なかった[1]。
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