春日老女子
古墳時代の女性。敏達天皇の夫人
(老女子郎女から転送)
春日老女子(かすが の おみなご、生没年不詳)は、古墳時代の女性。春日臣出身の敏達天皇の夫人(ぶにん)。春日仲君(かすがのなかつきみ)の娘。老女子夫人(おみなごのおおとじ)とも呼ばれ、別名を薬君娘(くすりこのいらつめ)といい[1]、『古事記』では老女子郎女(おみなごのいらつめ)と表記されている[2]。
概要
編集敏達天皇の妃となり、難波皇子・春日皇子・桑田皇女・大派皇子を生んだ[1]。多産ではあったが、中央政界で活躍した皇子を輩出していない。ただし、難波皇子の子孫に橘諸兄がおり、橘氏一族に嵯峨天皇の皇后となった橘嘉智子がいるので、現代の皇室にその血脈は受け継がれている。
系譜
編集系図
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27 安閑天皇 | 28 宣化天皇 | 29 欽明天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石姫皇女 (欽明天皇后) | 上殖葉皇子 | 30 敏達天皇 | 31 用明天皇 | 33 推古天皇 | 32 崇峻天皇 | 穴穂部間人皇女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大河内稚子媛 (宣化天皇后) | 十市王 | 押坂彦人大兄皇子 | 春日皇子 | 大派皇子 | 難波皇子 | 聖徳太子 (厩戸皇子) | 来目皇子 | 当麻皇子 | 殖栗皇子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
火焔皇子 | 多治比古王 | 茅渟王 | 栗隈王 | 山背大兄王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
多治比嶋 〔多治比氏〕 | 35 皇極天皇 37 斉明天皇 | 36 孝徳天皇 | 美努王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
有間皇子 | 橘諸兄 (葛城王) 〔橘氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||