義竹郷(イージュー/ぎちく-きょう)は台湾嘉義県南西部に位置する

嘉義県の旗 嘉義県 義竹郷
別称: 二竹囲庄
地理
位置 北緯--°--'
東経--°--'
面積: 79.2925 km²
各種表記
繁体字: 義竹
日本語読み: ぎちく
拼音: Yìzhú
通用拼音: Yìjhú
注音符号: ㄧˋ ㄓㄨˊ
片仮名転写: イージュー
台湾語: Gī-tek
客家語: Ngi-tsuk
行政
行政区分:
上位行政区画: 嘉義県の旗 嘉義県
下位行政区画: 22村311鄰
義竹郷長: 顏蔡淑惠
公式サイト: 義竹郷公所
情報
総人口: 19,225 人(2016年1月)
世帯数: 7,505 戸(2016年1月)
郵便番号: 624
市外局番: 05
義竹郷の木: -
義竹郷の花: -
義竹郷の鳥: -
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嘉義県立義竹国民中学

地理

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義竹郷は嘉義県南西部に位置し、北は朴子市と、東は鹿草郷と、西は布袋鎮と、南は八掌渓を隔てて台南市塩水区学甲区北門区と接している。嘉南平原に位置するため地勢は平坦であり、亜熱帯モンスーン気候に属している。年間平均気温は24.6℃である。嘉義市への通勤率は約7.5%。

歴史

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義竹郷の旧称は「二竹囲庄」である。明末鄭成功が屯田を行い開発が始まり、清代には嘉義県龍蛟潭堡に属していた。福建語では「二」が「義」と同音であることから「義竹」と改められた。民間伝承には1895年北白川宮能久親王が本郷仁里村に進駐した際、民兵により殺害され、それに対する報復として日本軍が全村を焼き払い民兵49名を殺害し、その民兵を顕彰して「義竹」と改称されたという言い伝えもある。

1920年、台湾の地方改制により「義竹庄」が設置され、台南州東石郡の管轄となり、戦後は初め台南県義竹郷とされたが、1950年嘉義県義竹郷と改編され現在に至っている。

信仰

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台湾基督長老教会嘉義中会
  • 義竹教会
  • 過路教会
  • 東後寮教会

経済

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行政区

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渓洲村、東栄村、東光村、中平村、五厝村、龍蛟村、後鎮村、平渓村、埤前村、仁里村、伝芳村、義竹村、北華村、頭竹村、六桂村、新店村、新富村、官順村、官和村、西過村、東過村、岸脚村

歴代郷長

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氏名 任期

教育

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国民中学

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交通

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種別 路線名称 事業者 郷内拠点
鉄道 布袋線 台湾糖業鉄道 義竹駅(廃)
バス 7207 嘉義 - 塩水 (竹子脚経由) 嘉義客運 中平村、五間厝、田尾、義竹囲、義竹電力公司、活動中心、義竹、厚生橋
バス 7208 嘉義 - 塩水 (重寮経由) 嘉義客運 中平村、五間厝、田尾、義竹囲、義竹電力公司、活動中心、義竹、厚生橋
バス 166 嘉義駅 (台湾高速鉄道) - 塩水 (重寮経由) 阿里山客運 中平村、五間厝、田尾、義竹囲、義竹電力公司、活動中心、義竹、厚生橋
省道 台19線 公路総局 朴子 - 義竹 - 塩水

催事

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  • 賽鴿笭祭

観光

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台湾糖業鉄道義竹駅

外部リンク

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