美濃市立美濃小学校

岐阜県美濃市の公立小学校

美濃市立美濃小学校(みのしりつ みのしょうがっこう)は、岐阜県美濃市にある公立小学校

美濃市立美濃小学校
地図北緯35度32分58秒 東経136度54分49秒 / 北緯35.54937度 東経136.91356度 / 35.54937; 136.91356座標: 北緯35度32分58秒 東経136度54分49秒 / 北緯35.54937度 東経136.91356度 / 35.54937; 136.91356
国公私立の別 公立学校
設置者 美濃市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121220700016 ウィキデータを編集
所在地 501-3729
岐阜県美濃市泉町1594-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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通学区域

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  • 美濃市1番地から4007番地(通称:俵町、米屋町、相生町、常盤町、吉川町、泉町、本住町、魚屋町、永重町、殿町、港町、加治屋町、新町、千畝町、段町、広岡町、亀野町、西市場町、東市場町、上条、下渡、口野々、樋ヶ洞、梅山町)、曽代、前野、安毛、富野、中央1-5丁目、中央6丁目の一部、松森の一部、保木脇、下河和、上河和、須原、立花が通学区域である。公立中学校の進学先は美濃市立美濃中学校である[1]

沿革

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  • 1873年(明治6年)
    • 1月 - 上有知村に申英義校が開校。清泰寺を仮校舎とする。
    • 6月 - 曽代村に明進義校が開校。
  • 1875年(明治8年) - 申英義校が有知学校に改称する。
  • 1876年(明治9年)6月 - 有知学校が旧・小倉山城三の丸址[注釈 1]。に新築移転。洋風二階建の建物であり、運動場は旧・小倉山城二の丸址[注釈 2]を使用していた。[注釈 3]
  • 1880年(明治13年) - 有知学校が有知小学校、明進義校が明進小学校に、それぞれ改称する。
  • 1886年(明治19年) - 有知小学校が上有知尋常高等小学校、明進小学校が安曽野簡易科小学校に、それぞれ改称する。
  • 1888年(明治21年)頃 - 安曽野簡易科小学校が安曽野尋常小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 -
    • 上有知村が町制施行し、上有知町となる。
    • 安毛村、曽代村、前野村が合併し、安曽野村が発足。
  • 1907年(明治40年) - 上有知尋常高等小学校が現在地に移転する[注釈 4]
  • 1911年(明治44年)4月1日 - 上有知町が美濃町に改称する。同時に上有知尋常高等小学校は美濃尋常高等小学校に改称する。
  • 1925年(大正14年)7月18日 - 美濃町が安曽野村を編入する。同じ頃、美濃尋常高等小学校が安曽野尋常小学校を統合する。
  • 1941年(昭和16年) - 美濃国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 美濃町立美濃小学校に改称する。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 美濃町、洲原村下牧村上牧村大矢田村藍見村中有知村が合併し、美濃市が発足。同時に美濃市立美濃小学校に改称する。
  • 1974年(昭和49年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 2004年(平成16年)4月 - 洲原小学校立花小学校を統合する。

その他

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  • 1876年に建造された有知学校の建物の一部(南側正面)は1910年に払い下げられた。現在は宝勝院庫裏として使用され、「旧有知学校」として美濃市の市指定文化財となっている[2]

参考文献

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  • 美濃市史 通史編 下巻 (美濃市 1980年) P.236 - 283 P.607 - 636
  • 小倉公園開設百周年記念小倉山小倉山公園物語 (1996年 [注釈 5] )

脚注

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注釈

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  1. ^ 現・小倉公園内の美濃市図書館付近。
  2. ^ 現・小倉公園下広場
  3. ^ 小倉公園開設百周年記念小倉山小倉公園物語 P.39~44
  4. ^ 小倉公園開設百周年記念小倉山小倉公園物語によれば、1907年から順次移転し、1911年に完全移転。
  5. ^ 美濃市在住の個人が発行。

関連項目

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外部リンク

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