織田重治 (古代史研究家)
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2013年11月) |
織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日 - 1995年(平成7年))は、大阪通管工業所の創業者[1]で、アマチュアの古代史研究家。フィギュアスケート選手・織田信成の祖父[1]。
経歴
編集兵庫県神戸市生まれ。1966年(昭和41年)家庭用下水配管の洗浄業を大阪市浪速区桜川で個人経営として創業。1968年(昭和43年)4月、家庭用下水配管の洗浄業を有限会社大阪通管工業所に改組する。
1983年(昭和58年)大阪医科大学の解剖学実習のための献体組織「さつき会」の初代会長となる[2]。1985年(昭和60年)3月、「好太王碑文」の改竄説否定と碑文の再解析のために、古田武彦に従い藤田友治ら21名と訪中して「好太王碑」の現地調査を行う[3]。
考古学
編集大阪通管工業所を創業し、事業が軌道に乗り出して以降、古田武彦などの主導する古代史・考古学の趣味に没頭し、市民の古代研究会に入会。還暦を迎えて以降に、普通自動車第一種免許を取得して、古墳探訪のための班を組織し、在野の古墳研究を行った。
研究発表
編集家族
編集関連項目
編集注釈
編集- ^ a b 創始者略歴 織田重治大阪通管工業所公式サイト。2019年9月30日閲覧。
- ^ 大阪医科大学の献体13年 日本財団図書館(電子図書館)
- ^ 東方史学会好太王碑訪中団の報告 東方史学会事務局