織田信清 (旗本)

江戸時代の旗本

織田 信清(おだ のぶきよ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本通称は数馬、源次郎、左兵衛。

 
織田信清
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文6年(1666年
死没 享保17年4月2日1732年4月26日
別名 通称:数馬、源次郎、左兵衛
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 織田氏(信雄系信清流)
父母 父:織田長政、母:松平英親養女
兄弟 信明信清長喬遠山友春継室
正室:なし
信栄信方信安、お道、織田信栄養女
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生涯

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旗本・織田長政の次男として誕生する。生母は松平英親の養女。

元禄3年(1690年12月12日高家旗本の兄・信明から大和国宇陀郡山辺中村などで300石を分け与えられて、旗本になる。寄合に所属する。元禄7年(1694年)閏5月7日、中奥番士となる。元禄17年(1704年2月2日、病気のために退任、小普請に所属する。

享保17年(1732年)4月2日、死去。享年67。

系譜

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正室はなし。子女は3男2女。

脚注

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  1. ^ 1000石。永井直敬の五男。勘定奉行京都東町奉行