緒方 信一(おがた しんいち、1906年明治39年〉7月29日[1] - 1990年平成2年〉8月22日[1])は、日本文部事務次官

経歴

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熊本県出身。1929年高等文官試験に合格[2]。翌1930年東京帝国大学法学部政治学科卒業[1]大阪府属、学務部勤務[1]山形青森各県警視三重県特高課長[1]、内務事務官、警保局勤務[1]警視庁警視、外事課長[1]、三重県経済部長[1]、1942年昭南特別市警察局長[1]、1943年陸軍司政官[1]、戦後、公職追放を受ける[1]。追放中は東京都自家用自動車組合専務理事[1]、追放解除後は宮崎県総務部長[1]、1953年文部省初等中等教育局長[1]、1956年同大学学術局長[1]、1960年文部事務次官[1]、1962年退官[1]、退官後は日本育英会理事長[1]、のち同会長[1]、1976年勲二等旭日重光章を受章[3]。1990年死去。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本近現代人物履歴事典』134頁。
  2. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』279頁。
  3. ^ 『現代物故者事典 1988~1990』

参考文献

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関連項目

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公職
先代
稲田清助
  文部事務次官
1960年 - 1962年
次代
内藤誉三郎
その他の役職
先代
森戸辰男
日本育英会会長
1972年 - 1977年
次代
林健太郎
先代
田中義男
理事長事務取扱
日本育英会理事長
1962年 - 1972年
次代
天城勲