細川行芬
日本の江戸時代の大名
細川 行芬(ほそかわ ゆきか)は、江戸時代後期の大名。肥後国宇土藩9代藩主。官位は従五位下・中務大輔、豊前守、左衛門尉。
細川行芬 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 文化7年12月14日(1811年1月8日) |
死没 | 明治9年(1876年)5月10日 |
改名 | 熊之丞(幼名)、之寿(初名)、行芬 |
官位 | 従五位下・中務大輔、豊前守、左衛門尉 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶 |
藩 | 肥後宇土藩主 |
氏族 | 宇土細川家 |
父母 | 父:細川立之、母:富(土井利厚の娘) |
兄弟 | 斉護、行芬、渡辺潔綱正室、女子 |
妻 | 毛利高翰の娘 |
子 | 立穀、立則、織田信敬、行真、小笠原寿長、本庄寿巨、稲子、山崎治正継室、千枝子ら11男10女 |
生涯
編集文化7年(1811年)、7代藩主・細川立之の次男として誕生した。幼名は熊之丞、初名として之寿(ゆきひさ)を名乗っていたが、のちに初代藩主行孝の偏諱を取って行芬に改名した。
文政9年(1826年)4月4日、宇土藩主だった兄の立政(改名して斉護)が宗家の熊本藩を相続するのに伴い、宇土細川家家督を相続する。文政10年(1827年)10月1日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・中務少輔に叙任する。嘉永4年(1851年)5月24日隠居し、次男の立則に家督を譲った。
系譜
編集子女は11男10女
父母
正室
- 毛利高翰の娘
子女
脚注
編集- ^ 読みはたつよし。