細川興虎
日本の江戸時代中期の大名。常陸谷田部藩士細川興誠(4代藩主細川興栄娘婿)長男で、谷田部藩5代藩主。従五位下玄蕃頭・長門守
細川 興虎(ほそかわ おきとら)は、江戸時代中期の大名。常陸国谷田部藩5代藩主。官位は従五位下・玄蕃頭、長門守。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 宝永7年(1710年) |
死没 | 元文2年12月21日(1738年2月9日) |
改名 | 武三郎(幼名)、興虎 |
戒名 | 乾徳全梁松林院 |
墓所 | 栃木県芳賀郡茂木町の能持院 |
官位 | 従五位下・玄蕃頭、長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 常陸谷田部藩主 |
氏族 | 谷田部細川家 |
父母 | 父:細川興誠、母:細川興栄娘 |
妻 | 牧野英成娘 |
子 | 興晴、豊之助 |
生涯
編集宝永7年(1710年)、細川興誠(4代藩主・細川興栄の婿養子)の長男として誕生した。生母は興栄の娘なので、外孫に当たる。
父の興誠は正徳5年(1715年)に病気を理由に廃嫡され、以降は興虎が嫡子とされた。興誠は享保13年(1728年)7月に死去した。
同享保13年(1728年)11月、興栄の隠居により11月23日に家督を譲られ、従五位下・玄蕃頭に叙位・任官する。元文2年(1737年)には長門守に遷任するが、同年12月21日(1738年2月9日)に谷田部で死去した。享年28。
跡を長男の興晴が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 牧野英成の娘
子女
- 細川興晴(長男) 生母は正室
- 細川豊之助
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』