紀真人

奈良時代から平安時代初期の貴族。従四位下・常陸守。子に紀末守、紀貞守、紀魚守。

紀 真人(き の まひと)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。名は直人とも表記される。中納言紀麻路の孫。式部大輔紀広名の子。官位従四位下常陸守

 
紀 真人
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 天平19年(747年
死没 延暦24年8月27日805年9月23日
別名 直人
官位 従四位下常陸守
主君 光仁天皇桓武天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀広名
末守、今守貞守国守魚守
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経歴

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宝亀11年(780年従五位下に叙せられ、翌天応元年(781年大学頭次いで右京亮に任ぜられる。のち、延暦3年(784年摂津亮、延暦6年(787年相模介、延暦7年(788年)相模守と桓武朝前半に地方官を歴任する。同年3月には多治比浜成らと共に征東副使に任ぜられ蝦夷征討に当たるが、翌延暦8年(789年)6月の巣伏の戦いでの動静は伝わらない。延暦10年(791年中務少輔に任ぜられ京官に復す。

延暦24年(805年)8月27日卒去享年59。最終官位は常陸守従四位下。

人物

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穏和な人柄で非常に文才があった。京官や地方官を歴任したが、悪評も賞賛もなく、天命を全うした[1]

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 日本後紀』延暦24年8月27日条
  2. ^ 『日本後紀』延暦24年8月27日条
  3. ^ a b c d 『尊卑分脈』
  4. ^ 国守の弟(『続日本後紀』承和9年3月8日条)

参考文献

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