粟島 (敷設艇)
粟島(あわしま/あはしま[2])は、日本海軍の敷設艇[4]。神島型敷設艇の2番艇[4]。仮称「第1802号艦」[4]。完成が急がれ、主機関もマン式ディーゼルエンジンの在庫品を使った[15]が、終戦時未成で戦後に特別輸送艦として竣工した[10]。
粟島 | |
---|---|
1947年春、佐世保に停泊の「粟島」(手前)[1] | |
基本情報 | |
建造所 |
佐世保海軍工廠[2] 戦後は川南工業香焼島工場[3] |
運用者 |
( 大日本帝国海軍) 第2復員省/復員庁第2復員局 |
艦種 | (敷設艇[2]) |
級名 | 神島型[4] |
母港 |
呉(進水時)[5] 佐世保(復員輸送艦時)[6] |
艦歴 | |
計画 | 昭和19年度[7][注釈 1]、戦時艦船建造補充計画(マル戦計画)[8] |
起工 | 1945年2月20日[3][9] |
進水 | 1945年7月26日[10] |
竣工 | 1946年4月18日復員輸送艦として[10] |
その後 | 1947年10月1日[11]または3日アメリカへ引き渡し[10] |
要目(計画) | |
排水量 | 810トン[12][注釈 2] |
全長 | 74.50m[13] |
水線長 | 73.30m[13] |
垂線間長 | 69.50m[13] |
最大幅 | 7.85m[13] |
水線幅 | 7.85m[13] |
深さ | 4.60m[13] |
吃水 | 公試平均 2.60m[注釈 3] |
主機 | マン式3号10型ディーゼル 2基[12] |
推進 |
2軸 x 315rpm[12] 直径2.000m、ピッチ2.490m[12] |
出力 | 3,600馬力[12] |
速力 | 19.5ノット[12] |
燃料 | 重油:51トン [注釈 3] |
航続距離 | 14ノットで3,000海里 [注釈 3] |
乗員 | 129名(特別輸送艦の定員)[14] |
兵装 | 竣工時 なし[注釈 4] |
片桐大自の研究によれば、艦名は香川県善通寺市の北西にある塩飽諸島の粟島からとる[16]。海上自衛隊のうきしま型掃海艇「あわしま」に艦名は引き継がれ、こちらは元日本海軍の哨戒特務艇「第138号」だった[16]。
艦歴
編集艦長
編集艤装員長
編集艦長
編集(注)本艦には竣工後の「艇」としての履歴が存在しない。
同型艦
編集参考文献
編集- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9
- 『日本海軍護衛艦艇史』 世界の艦船 1996年2月号増刊 第507集(増刊第45集)、海人社、1996年2月。ISBN 4-905551-55-2。
- 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
- COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU(福井静夫/纏め『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
- 福井静夫『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』光人社、2011年1月(原著1961年)。ISBN 978-4-7698-1488-7。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年9月。ISBN 4-7698-0464-4。
- 歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol.51 『真実の艦艇史2』学習研究社、2005年。ISBN 4-05-604083-4
脚注
編集注釈
編集- ^ 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.30では昭和20年度計画としている。
- ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻pp.1714-1715で基準排水量810トンとしているが、同ページにある神島の数値(800トン)から公試排水量と思われる。
- ^ a b c #海軍造船技術概要(1987)上巻p.666、#日本海軍護衛艦艇史(1996)p.95。数値は神島のもの。
- ^ 数枚の写真が残されているが、電測兵装は確認できない。水測兵装や航海に必要な光学兵装についても状況は不明。
出典
編集- ^ #日本海軍護衛艦艇史(1996)p.96
- ^ a b c d 「昭和20年4月5日付 達第64号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070510800
- ^ a b c d 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.30
- ^ a b c d e #海軍造船技術概要(1987)上巻p.664
- ^ a b 昭和20年6月26日付 内令 第573号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070515400 で閲覧可能。
- ^ a b 「昭和21年2月3日付 第二復員省 内令第23号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070534600
- ^ #日本海軍護衛艦艇史(1996)p.94
- ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1536
- ^ #終戦時の日本海軍艦艇p.91
- ^ a b c d e f g h #写真日本の軍艦第14巻p.110
- ^ a b 運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時(内地)艦艇処分状況」1948年3月20日現在、#終戦と帝国艦艇(2011)資料2、p.23
- ^ a b c d e f #海軍造船技術概要(1987)下巻pp.1714-1715。
- ^ a b c d e f #海軍造船技術概要(1987)上巻p.666
- ^ 「昭和21年2月1日付 第二復員省 内令第22号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070534600
- ^ 世界の艦船 『日本海軍護衛艦艇史』、p. 94。
- ^ a b 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p512。
- ^ 「昭和20年4月5日付 内令第295号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070504600
- ^ 「昭和21年12月15日付 復員庁第二復員局 復二第459号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070541900
- ^ 「昭和22年10月1日付 復員庁第二復員局 復二第712号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070538900
- ^ 歴史群像 『真実の艦艇史2』、p. 149。
- ^ 「昭和20年7月19日付 海軍辞令公報 甲 第1861号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106300
- ^ 「昭和20年9月3日付 海軍辞令公報 甲 第1903号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072107300
- ^ 「昭和21年1月30日付 第二復員省辞令公報 甲 第47号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072162300
- ^ 「昭和21年2月9日付 第二復員省辞令公報 甲 第56号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072158500
- ^ 「昭和21年2月15日付 第二復員省辞令公報 甲 第60号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072162400
- ^ a b 「昭和22年2月3日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第131号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072160200
- ^ 「昭和22年9月16日付 復員庁第二復員局辞令公報 第58号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072165900
- ^ 「昭和22年9月11日付 復員庁第二復員局辞令公報 第56号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072165900