米澤 嘉圃(よねざわ よしほ、1906年6月3日 - 1993年7月29日[1])は、日本中国美術史学者東京大学名誉教授、武蔵野美術大学名誉教授。本名は芳男。

来歴

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秋田県鹿角郡生まれ。父は鉱山技師の米澤萬陸旧制暁星中学校福岡高等学校を経て、1931年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業[2]。1935年東方文化学院東京研究所所員、1949年東京大学東洋文化研究所教授、1950年文化財専門審議会委員、『国華』主幹などを務め、1967年定年退官後、武蔵野美術大学学長。1962-66年美術史学会代表[3]。墓所は多磨霊園

著書

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  • 『中国絵画史研究 山水画論』(平凡社 1962)
  • 『米沢嘉圃美術史論集』上下(国華社 1994)

論文

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脚注

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  1. ^ 『人物物故大年表』
  2. ^ 米澤嘉圃 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2024年2月29日閲覧。
  3. ^ 『現代日本人名録』1987年