第20次西成暴動
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第20次西成暴動(だい20じにしなりぼうどう)とは、1973年(昭和48年)4月と5月に大阪府大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ヶ崎)で発生した日雇い労働者による暴動事件。「第20次釜ヶ崎暴動」ともいう。
事件の概要
編集1973年4月30日夜、新左翼系の釜ヶ崎共闘会議は、明日開催する「釜ヶ崎メーデー」のビラ撒きをしていた。その頃からパチンコ店のシャッターを蹴ったりするなど既に不穏な空気が立ちこめていた。
5月1日、あいりん地区内の三角公園で「釜ヶ崎メーデー」が開かれた。「悪質ベア粉砕」「西成署を粉砕せよ」と気勢をあげ、その内の一団は国鉄大阪環状線新今宮駅までデモ行進した。
その後、彼らは大阪環状線内回りの国電の後部3両目に乗り込み、事実上占拠した。鶴橋駅に到着すると、中の暴徒がプラットホームに飛び出した。そして近鉄の駅にまで侵入し、窓ガラスを割るなどした。この際の狼藉で、たまたま居合わせていた女性乗客3人に重軽傷を負わせ、駅員や鉄道公安職員にも軽傷を負わせた。
その後、彼らは元の国電に乗り込み、次の玉造駅で爆竹を投げ、その次の森ノ宮駅では駅内をデモ行進し、駅の施設を破壊した。国鉄は問題の国電後部3両目を封鎖し、環状線を1周して京橋駅で運転を取り止めた。
同日夜まであいりん地区では、暴動が散発的に起きていた。
参考文献
編集- 『朝日新聞(大阪版)』1973年5月1日朝刊、5月1日夕刊、5月2日朝刊