第1次ヴァル・ファジュル作戦
第1次ヴァル・ファジュル作戦(だいいちじヴァル・ファジュルさくせん)は、イラン・イラク戦争中、イラン軍によるイラク・マイサーン県に対する攻勢作戦である。
第1次ヴァル・ファジュル作戦 | |
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戦争:イラン・イラク戦争 | |
年月日:1983年2月6日〜1983年2月26日、4月10日〜4月14日 | |
場所:イラク・マイサーン県 | |
結果:両軍膠着状態 | |
交戦勢力 | |
イラク | イラン |
指導者・指揮官 | |
不明 | 不明 |
戦力 | |
2個師団 | 3個師団 45,000 |
損害 | |
死傷者捕虜計2,000 | 死傷者捕虜計5,000 |
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概要
編集新たに立案されたイラン軍攻勢作戦の第1回目が本作戦であり、大きく2期に分かれて実施された。
攻撃第1波
編集1983年2月6日黎明、イラン軍はイラク領アマーラから東約45kmの国境地帯を突破、サファリエ、スブレ、ラジデイエの3箇所を奪回し、イラク軍1個旅団と3個連隊を壊滅させたと、イラン国営通信は伝えた。しかし攻撃開始24時間後には停滞した。2月9日に攻撃再興するも、イラク軍の反撃にあい2月16日には攻撃発起点まで押し戻された。
攻撃第2波
編集4月10日、フーゼスターン州ファッケで攻勢に出た。直後に両国の国営放送は大損害を与えたと報じたが、イラン軍の攻勢は失敗した。
既にこの頃には、イラン統合参謀本部による日々戦況発表やイラク軍参謀本部発表は自軍の勇ましい勝利と敵軍の損害だけを発表するようになり、戦闘状況の真実は闇の中であった。まさしく、大日本帝国軍が行った大本営発表を彷彿させるもの(それも双方が)であった。これが本戦争における双方の損害を不明にしている要因の一つとなっている。
参考文献
編集- 鳥井順『イランイラク戦争』(第三書館)
- 松井茂『イラン-イラク戦争』(サンデーアート社)
- ケネス・ポラック『ザ・パージアン・パズル 上巻』(小学館)