第1期王将戦
1951年度の王将戦
第1期王将戦(だい1きおうしょうせん)は、1951年度の王将戦である。前回は一般棋戦として開催され、今期よりタイトル戦に格上げされた[1]。
第1期 王将戦 | |
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開催期間 | 1951年 - 1952年3月31日 |
第1期王将 | 升田幸三(初) |
王将戦 < 第1回第2期 > |
概要
編集今期は前回と同様に順位戦A級上位5名によるリーグ戦で挑戦者を決定し、木村義雄名人との七番勝負が行われる。今期より七番勝負の勝者に王将位が贈られることとなった[2]。また、各1局であったリーグ戦は先後各1局の2局ずつ指されることとなった[3][4]。
今期のリーグ戦出場棋士は、第6期順位戦A級1位の升田幸三八段、A級2位の大山康晴九段、A級3位の丸田祐三八段、A級4位の坂口允彦八段、A級6位の塚田正夫前名人。なお、塚田はA級5位の高柳敏夫八段が休場のため、繰り上げ出場となった[3]。
挑戦者決定リーグでは升田幸三八段と塚田正夫前名人が6勝2敗で並び、挑戦者決定プレーオフが行われた。結果は升田が勝利し、挑戦権を獲得した[3]。
七番勝負では5局目の時点で升田幸三八段の4勝1敗となり、三番勝ち越したため、升田が初代王将となることが決まった[3][4][5]。
王将戦は「三番手直り」の指し込み制を採用していたため、第6局は木村義雄名人が香落ちで指すこととなった[4]。しかし、升田が対局を拒否したことで、升田の1年間の出場停止、理事会総辞職に発展。最終的に木村名人の裁定により、升田の復帰、理事の辞表は受理されない結果となった[3][6]。
→詳細は「陣屋事件」を参照
第6局は升田の不戦敗となり、第7局は平手番として行われ、升田が勝利した。最終成績は升田の5勝2敗[3]。
第1期王将戦七番勝負
編集対局者 | 第1局 | 第2局 | 第3局 | 第4局 | 第5局 | 第6局(香落) | 第7局 | |
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1951年 12月11日・12日 |
1951年 12月21日・22日 |
1952年 1月15日・16日 |
1952年 1月28日・29日 |
1952年 2月11日・12日 |
1952年 2月18日・19日[注 1] |
1952年 3月30日・31日 | ||
木村義雄名人 | ● | ● | ○ | ● | ● | □(下手) | ● | |
升田幸三八段 | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | ■(上手) | ○ | 王将位獲得 |
挑戦者決定プレーオフ
編集プレーオフ | |||||
升田幸三八段◎ | ○ | 挑戦者 | |||
塚田正夫前名人 | ● | ||||
挑戦者決定リーグ
編集順位 | 棋士 | 勝 | 負 | 備考 | 升田 | 塚田 | 大山 | 坂口 | 丸田 |
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升田幸三八段 | 6 | 2 | プレーオフ | - | 1勝1敗 | 2勝0敗 | 2勝0敗 | 1勝1敗 | |
塚田正夫前名人 | 6 | 2 | プレーオフ | 1勝1敗 | - | 2勝0敗 | 1勝1敗 | 2勝0敗 | |
大山康晴九段 | 3 | 5 | 0勝2敗 | 0勝2敗 | - | 2勝0敗 | 1勝1敗 | ||
坂口允彦八段 | 3 | 5 | 0勝2敗 | 1勝1敗 | 0勝2敗 | - | 2勝0敗 | ||
丸田祐三八段 | 2 | 6 | 1勝1敗 | 0勝2敗 | 1勝1敗 | 0勝2敗 | - |
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- スポーツニッポン新聞社、毎日新聞社、日本将棋連盟『王将戦 70年のあゆみ』2021年2月8日。ISBN 978-4-910319-20-9。
- 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6。