呂号第二十九潜水艦
(第六十八潜水艦から転送)
呂号第二十九潜水艦(ろごうだいにじゅうきゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂二十九型潜水艦(特中型、海中5型)の1番艦。竣工時の艦名は第六十八潜水艦。
艦歴 | |
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計画 | 大正7年度計画[1] |
起工 | 1921年6月2日[1] |
進水 | 1922年12月5日[1] |
就役 | 1923年9月15日[1] |
除籍 | 1936年4月1日[1] |
その後 | 1940年4月1日廃潜第9号と仮称[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:852.3トン 水中:886.4トン |
全長 | 74.22m |
全幅 | 6.12m |
吃水 | 3.73m |
機関 | ズルツァー式[2]ディーゼル2基 電動機、2軸 水上:1,200馬力 水中:1,200馬力 |
速力 | 水上:13kt 水中:8.5kt |
航続距離 | 水上:10ktで9,000海里[3] 水中:4ktで85海里 |
燃料 | 重油 |
乗員 | 44名 |
兵装 | 12cm単装砲1門 53cm魚雷発射管 艦首4門 魚雷8本 |
備考 | 安全潜航深度:45.7m |
艦歴
編集1921年(大正10年)6月2日、川崎造船所で起工。1922年(大正11年)12月5日進水。1923年(大正12年)9月15日竣工。竣工時の艦名は第六十八潜水艦、二等潜水艦に類別[1]。1924年(大正13年)11月1日、呂号第二十九潜水艦に改称。1936年(昭和11年)4月1日に除籍。1940年(昭和15年)4月1日、廃潜第9号と仮称。
歴代艦長
編集※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
艤装員長
編集- (心得)金桝義夫 大尉:1922年12月1日 - 1923年9月15日
艦長
編集- (心得)金桝義夫 大尉:1923年9月15日 - 1925年6月1日
- 平野六三 大尉:1925年6月1日[5] - 1926年10月1日[6]
- 古宇田武郎 少佐:1926年12月1日 - 1928年9月10日
- 斎藤栄章 少佐:1928年9月10日 - 1929年11月30日
- (兼)寺岡正雄 大尉:1929年11月30日[7] - 1930年4月1日[8]
- (兼)溝畠定一 大尉:1930年4月1日[8] - 12月1日[9]
- 田村礼三 大尉:1930年12月1日[9] - 1931年12月1日[10]
- 西野耕三 大尉:1931年12月1日[10] - 1933年9月6日[11]
- (兼)山田隆 大尉:1933年9月6日 - 1934年3月20日
- 江見哲四郎 大尉:1934年3月20日 - 11月1日
- 中川肇 大尉:1934年11月1日[12] - 12月15日[13]
脚注
編集- ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、369頁。
- ^ SULZER社。英語読みではスルザー。
- ^ 実際の航続距離は10ktで9,000海里だが、公式発表では10ktで6,000海里と前型と同一ということになっている。
- ^ 『日本海軍の潜水艦』33頁。
- ^ 『官報』第3831号、大正14年6月2日。
- ^ 『官報』第4234号、大正15年10月4日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ a b 『官報』第975号、昭和5年4月2日。
- ^ a b 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
- ^ 『官報』第2007号、昭和8年9月7日。
- ^ 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
- ^ 『官報』第2389号、昭和9年12月17日。
参考文献
編集- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。