第七号掃海艇 (3代)
第七号掃海艇(だいななごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第七号型掃海艇 (3代)の1番艇。
艦歴 | |
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計画 | 昭和12年度計画[1](③計画) |
起工 | 1937年10月27日[1] |
進水 | 1938年6月16日[1] |
竣工 | 1938年12月15日[1] |
その後 | 1944年4月15日雷撃により沈没[1] |
除籍 | 1944年6月10日[1] |
性能諸元(竣工時) | |
排水量 | 基準:630t 公試:738t |
全長 | 72.5m |
水線長 | 71.3m |
全幅 | 7.85m |
吃水 | 2.60m |
主缶 | ロ号艦本式罐・石炭重油混焼 2基 |
機関 | 艦本式オールギヤードタービン 2基 2軸推進 3,850㏋ |
燃料 | 石炭 118t 重油 48t |
速力 | 20kt |
航続距離 | 14ktで2,000海里 |
乗員 | 103名 |
兵装 | 45口径三年式12cm単装砲 3基 25mm連装機銃 1基 爆雷 36個 掃海具 |
艦歴
編集1937年(昭和12年)10月27日、玉造船所で起工[1]。1938年(昭和13年)4月15日、掃海艇に類別[2]。同年6月16日進水。同年12月15日に竣工[3]。佐世保鎮守府籍に編入[4]。
1939年(昭和14年)、日中戦争において華南の作戦に参加[1]。
1941年(昭和16年)6月1日、第三艦隊第一根拠地隊に編入。同年12月8日、太平洋戦争に参加し、比島レガスビー攻略作戦に参加[4]。以後、メナド、ケンダリー、アンボン、マカッサル、クーパンの各攻略参戦で船団護衛に従事[4]。
1942年(昭和17年)3月10日、第一南遣艦隊第十特別根拠地隊に編入され、シンガポール方面の船団護衛を担当[4]。1943年(昭和18年)6月21日、シンガポールで入渠修理を実施[4]。その後、アンダマン方面の船団護衛に従事[4]。
1944年(昭和19年)4月15日、アンダマン諸島ポートブレア付近で沖でイギリス海軍潜水艦ストームの雷撃で撃沈された[1][4]。同年6月10日に除籍。
歴代艇長
編集- 艤装員長
- 北野亘 少佐:不詳 -
- 艇長
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 100頁。◎昭和十三年四月十五日(内令三〇七) 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス |〔中略〕掃海艇第一號型ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|第七號型|第七號、第八號|
- ^ 『日本の軍艦 第13巻』212頁では「12月25日」竣工。
- ^ a b c d e f g 『写真 日本の軍艦 第13巻』212頁。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第469号 昭和15年4月24日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077900
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第555号 昭和15年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第708号 昭和16年9月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000
参考文献
編集- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。