第一号掃海艇
日本海軍の掃海艇
第一号掃海艇(だいいちごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第一号型掃海艇の1番艦。
艦歴 | |
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計画 | 大正9年度計画[1] |
起工 | 1922年5月10日[1] |
進水 | 1923年3月6日[1] |
竣工 | 1923年6月30日[1] |
その後 | 1945年8月10日空襲により沈没[1] |
除籍 | 1945年9月15日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:600トン 公試:702トン |
全長 | 76.20m |
全幅 | 8.03m |
吃水 | 2.29m |
機関 | ロ号艦本式缶(石炭専焼)2基[2] 直立3気筒3段膨張レシプロ2基 2軸、4,000馬力 |
速力 | 20.0ノット |
航続距離 | 12ノットで2,000海里 |
燃料 | 石炭:150トン |
乗員 | 97名[3] |
兵装 | 45口径三年式12cm砲 2門 40口径三年式8cm高角砲 単装1門 九一式爆雷投射機2基 爆雷投下台6基 爆雷18個[4] 対艦式大掃海具2型 単艦式大掃海具3型、または機雷50個 |
艦歴
編集1922年(大正11年)5月10日、播磨造船所で起工[1]。1923年(大正12年)3月6日進水。同年6月30日に竣工。竣工時艇名は第一掃海艇[5]、掃海艇に類別。1924年(大正13年)4月24日、第一号掃海艇に改称[6]。
1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中の作戦に参加[1]。太平洋戦争では、南方作戦、船団護衛に従事[1]。1945年7月22-23日の海戦でアメリカ海軍駆逐艦と交戦。
歴代艇長
編集※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 千葉成男 少佐:1923年5月1日[7] -
- 艇長
- 千葉成男 少佐:1923年6月30日[8] - 1923年11月1日[9]
- 遠藤昌 大尉:1923年11月1日[9] - 1924年12月1日[10]
- 井原美岐雄 少佐:1924年12月1日[10] - 1925年12月1日[11]
- 秋山輝男 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日
- 河西虎三 大尉:1926年12月1日[12] - 1928年1月20日[13]
- 秋山輝男 少佐:1928年1月20日 - 1928年11月1日
- 牟田口格郎 大尉:1928年11月1日 - 1929年4月15日
- 荘司喜一郎 大尉:1929年4月15日 - 1930年12月1日
- 久保田智 大尉:1930年12月1日 - 1931年12月1日
- 山田勇助 大尉:1931年12月1日 - 1932年4月23日
- 勢経雄 大尉:1932年4月23日[14] - 1933年4月10日[15]
- 原田耕作 大尉:1933年4月10日[15] - 1934年4月1日[16]
- 奥山鎮雄 大尉:1934年4月1日[16] - 1935年8月26日[17]
- 堤恭三 大尉:1935年8月26日[17] - 1936年12月1日[18]
- 守屋節司 少佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
- 原口曻 少佐:1937年12月1日[19] - 1938年12月15日[20]
- 竹内一 少佐:1938年12月15日[20] - 1940年2月3日[21]
- 小野四郎 少佐:1940年2月3日[21] - 1940年10月15日[22]
- 山崎仁太郎 大尉:1940年10月15日[23] - 1941年5月15日[24]
- 瀬戸末吉 予備大尉:1941年5月15日[24] -
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
- ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると3基。
- ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると91名。
- ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』による。一方『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』には爆雷の記載はない。
- ^ 「大正10年10月12日付 海軍大臣達 第190号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070079300
- ^ 「大正13年4月24日付 海軍大臣達 第49号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070083400
- ^ 『官報』第3224号、大正12年5月2日。
- ^ 『官報』第3277号、大正12年7月3日。
- ^ a b 『官報』第3359号、大正12年11月2日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ 『官報』第317号、昭和3年1月21日。
- ^ 『官報』第1595号、昭和7年4月26日。
- ^ a b 『官報』第1881号、昭和8年4月11日。
- ^ a b 『官報』第2173号、昭和9年4月2日。
- ^ a b 『官報』第2596号、昭和10年8月27日。
- ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ 「海軍辞令公報 号外 第99号 昭和12年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第436号 昭和15年2月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077700
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第638号 昭和16年5月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081000
参考文献
編集- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
- 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
- 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。