竹田 弘太郎(たけだ こうたろう、1916年大正5年)1月2日 - 1991年平成3年)10月29日 )は、日本の実業家名古屋鉄道(名鉄)の元社長。

経歴

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愛知県西春日井郡清洲町(現・清須市)出身[1]1938年昭和13年)に早稲田大学商学部卒業とともに名古屋鉄道に入社[1]1963年(昭和38年)11月に同社取締役となり、以後、常務、副社長を経て、1971年(昭和46年)11月に社長に就任[1]1982年(昭和57年)6月には会長に就任する[1]。「人を基本に、従業員を尊重し、地域との共生を図ること」をモットーに、リトルワールド杉本美術館などの文化施設の開設や1989年(平成元年)の世界デザイン博覧会の開催に携わるなど、文化事業にも力を入れた[2]

社外では、1978年(昭和53年)から名古屋商工会議所副頭取、1981年(昭和56年)12月から1990年(平成2年)3月までに同頭取を務め[2]東海銀行監査役や日本銀行参与、NHK経営委員会委員長などを歴任した[3]

1976年11月に藍綬褒章を受章し、1986年(昭和61年)には勲一等瑞宝章を受章[2]

1991年(平成3年)10月29日に胸部動脈瘤による心不全のために名古屋市内の病院で死去。享年75歳[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1991, た282頁.
  2. ^ a b c d 1991年10月29日 日本経済新聞 名古屋 夕刊 p36
  3. ^ 1991年10月29日 毎日新聞 東京 夕刊 p11

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 下』人事興信所、1991年。 
先代
土川元夫
名古屋鉄道社長
1971年 - 1982年
次代
梶井健一
先代
三宅重光
名古屋商工会議所会頭
第21代:1981年 - 1990年
次代
加藤隆一