竹俣 昌綱(たけのまた まさつな、(? - ?))は戦国時代の越後国の武将。竹俣清綱の子。竹俣為綱の弟。竹俣清秀・竹俣重綱の父。
竹俣氏は揚北衆佐々木党のひとつ、加地氏の庶流。
享禄3年(1530年)10月、上条の乱が勃発するとこれに呼応し本庄房長・鮎川清長・水原政家・黒川清実・中条藤資・五十公野景家・加地春綱・新発田綱貞らと共に上条定憲に従い守護代長尾為景と戦った。
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