新発田綱貞

日本の戦国時代の武士

新発田 綱貞(しばた つなさだ)は、戦国時代武将。新発田長綱の子。新発田長敦新発田重家の父。伯耆守。

 
新発田 綱貞
時代 室町時代-戦国時代
生誕 永正9年(1512年
死没 永禄4年(1561年
別名 受領名伯耆守
主君 長尾為景景虎
氏族 新発田氏
父母 父:新発田長綱、母:不明
長敦重家盛喜、女(五十公野信宗室)、女(色部長実室)
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出自

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新発田氏は北越後の国人で、揚北衆の一人である。佐々木盛綱を祖とする佐々木党であり、加地氏の庶流。

生涯

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五十公野城を領し、守護代長尾為景が守護上杉氏を倒し越後平定に奔走したときはこれに従ったが、上条の乱が勃発するとこれに呼応し本庄房長鮎川清長水原政家黒川清実中条藤資五十公野景家加地春綱竹俣昌綱らと共に為景に背いた。しかし最後は、長尾景虎(のちの上杉謙信)に臣従した。