立達磨
は、岐阜県飛騨市(旧吉城郡神岡町)にある達磨像である
立ち達磨(たちだるま)は、岐阜県飛騨市(旧吉城郡神岡町)にある達磨像である。立ち達磨とは、達磨大師の立たれた姿である(一般には達磨は座禅した姿が多い)。 観音山の中腹に鎮座しており、同山の麓にある曹洞宗補陀山洞雲寺の所有となる。 発願主の筆頭は同寺の先々代住職大森雅道老師。 通称『日本一の立ち達磨』。
経緯
編集「町のシンボルにしよう」と達磨像の話が持ち上がった。 達磨大師は曹洞宗の原点の一つだが、別のきっかけもあった。 浩潤球学(1877-1953)という高僧である。俗姓を丘といい、丘球学としても知られる。球学老師は明治27年に洞雲寺二十世住職となった大潤(丘)宗潭に随侍していた。宗潭老師は伊豆の修禅寺住職となり、のちに永平寺副貫首も務める。 球学老師はよく洞雲寺にきて、町の住民に戒を授ける「授戒会」で「戒師」を務め、昭和28年に遷化されたが、住民たちは今も「球学さん」と、よくその名を覚えている。 その球学老師は、よく筆を執り、数多くの絵や書を神岡の人々に手渡したという。絵では観音様の次に達磨太子の絵が多く、そのことを町の人たちは思い出し、達磨像にしようという話になった。 またこの立ち達磨をきっかけに、昭和59年に全日本だるま研究会初代会長・今泉實平氏が三千点に及ぶ達磨コレクションの寄進を申し出た。すると建物は寄進を申し出る人もいた。これにより洞雲寺内に「達磨堂」が完成。展示を行っている。 昭和30年一月、江戸木遣りが神岡に伝授された記念に、町の人々が行列を組み、横2m、縦1mの額を同寺の金毘羅堂に奉納。以降、「初金毘羅」は盛大になり、達磨市が出て達磨供養も行われるようになった。
特徴
編集所在地
編集- 岐阜県飛騨市神岡町朝浦地内