立ち切り(たちきり)とは、剣道の特別稽古。一人の選手に対して数十人が交代で掛かり、選手に休む暇を与えず、体力の限界まで追い込む。

概要

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江戸時代末期(幕末)の剣客山岡鉄舟は、24歳のときに7日間で1400回の試合を行った。山岡が明治時代に開いた一刀正伝無刀流では立ち切りを「誓願」と呼んだ。誓願は三期に分けられ、第一期は1000日間の稽古を怠りなく行い、最終日に200回の立ち切り試合を行った。第二期はさらに稽古を重ね、3日間で600回の立ち切り試合を行った。第三期はまたさらに稽古を重ね、7日間で1400回の立ち切り試合を行い、これを成し遂げた者に免許皆伝を授けた。命をもかけた苦行であったという。

同時代の警視庁においても立ち切りが行われ、高野佐三郎が最も辛い修行であったと述懐している[注釈 1]

現在は秋田県湯沢市で開催される「3時間立ち切り試合」が有名であり、マスメディアで報道されている。1人の選手に対して33人が交代して掛かる。女子の部は2時間で22人が掛かる。

このほか、大学の剣道部においても合宿時などに立ち切りを行うことがある。

選手を体力の限界まで追い込むために、体当たり、足払いなど通常の稽古では禁止されている荒技も使う。

空手の100人組手に相当する。

脚注

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注釈

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  1. ^ 高野佐三郎の述懐
    昼夜立ちきりで稽古をしたことがありました。警視庁で之に合格した者は斯道奨励の為に全国を巡回させるというような目的のためだったそうですが、其時に我々三人(高野佐三郎、高橋赳太郎川崎善三郎)の外に名士が十人選ばれて、夜の六時から朝の六時までつづけざまに稽古したことがありました。そうすると今の助教というような者が、奴等を叩き潰して来られないようにしてやろうといって、志願の者が各署から出て吾妻橋署でやりましたが、其時にはもう夜の十二時過ぎになると知覚神経が鈍ってしまうから、道場の真中にでも居ようものなら忽ち放りつけられる、ぶっとばされるというような目にあわされる。とにかく時間の過ぎる迄我慢が出来なければ合格しないというのだから、二時頃になると実に辛くて止そうと思うたこともありました。それでも四、五人立って居る者もあって竹刀を真直ぐに持って板壁に背をくっつけて立って居ると、またやって来て無理に真中に引出して打ったり、突いたりして耐えられないようにします。それでも我慢していると疲れているので眠くなる。まるで鮒が荒波にあったときのようにフラフラになってしまいます。ところが人間の精神はえらいもので署の横に大きな鳥屋がありまして、其処の一番鶏が鳴き始めると、また初めの元気に回復します。夜が白々と明けて来ますとはっきりして来て、先程残酷なことをしてひどい目にあわせた者を引っ張り出して仕返しをするというようなことをしました。とにかく我々三人は最後まで我慢をしとおしたものです。しかし夜の六時から夜明けの六時までの長時間の稽古というものは実に辛いものでした。其の間にお粥を三度位食べて、はばかりに三度位行きました。それから一週間位というものは元の体に回復しません。高鼾で寝ているが頭は決して眠っていない。竹刀を持って戦っている夢ばかり見ている。それが一週間位抜けません。尾籠な話ですが、真赤な俗に血の小便といいますが、そういう小便が一週間も続きます。まあその頃が一番猛烈なそして辛い修行時代でした[1]

出典

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  1. ^ 『警視庁武道九十年史』419頁、警視庁警務部教養課

参考文献

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関連項目

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