窯神町
日本の愛知県瀬戸市の地名
窯神町(かまがみちょう)は、愛知県瀬戸市道泉連区の町名。丁番を持たない単独町名である。
窯神町 | |
---|---|
北緯35度13分41.5秒 東経137度5分51.8秒 / 北緯35.228194度 東経137.097722度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 瀬戸市 |
地区[1] | 道泉連区 |
町名制定[2] | 1942年(昭和17年)1月9日 |
面積 | |
• 合計 | 0.065358067 km2 |
標高 | 126.1 m |
人口 | |
• 合計 | 226人 |
• 密度 | 3,500人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
489-0048[6] |
市外局番 | 0561(瀬戸MA)[7] |
ナンバープレート | 尾張小牧 |
地理
編集- 瀬戸市の中央部に位置する[8]。西を西谷町、北を東安戸町・背戸側町、東を仲切町・朝日町、南を陶本町・元町と隣接している[8]。
- 丘陵斜面に発展した住宅と窯業関係の中小工場が混在する[8]。
- 北端に窯神神社があり、その周辺には磁祖公園[注釈 1]・窯神グラウンド[注釈 2]があり、市民の憩いの場になっている[8]。
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[11]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 瀬戸市立にじの丘小学校 | 瀬戸市立にじの丘中学校 | 尾張学区 |
歴史
編集町名の由来
編集1937年(昭和12年)に磁祖民吉の銅像が建てられた窯神神社がこの地にあることによって名付けられたとされる[12]。
沿革
編集世帯数と人口
編集2024年(令和6年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
窯神町 | 109世帯 | 226人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 396人 | [14] | |
2000年(平成12年) | 373人 | [15] | |
2005年(平成17年) | 331人 | [16] | |
2010年(平成22年) | 294人 | [17] | |
2015年(平成27年) | 267人 | [18] | |
2020年(令和2年) | 231人 | [19] |
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 135世帯 | [14] | |
2000年(平成12年) | 138世帯 | [15] | |
2005年(平成17年) | 130世帯 | [16] | |
2010年(平成22年) | 123世帯 | [17] | |
2015年(平成27年) | 114世帯 | [18] | |
2020年(令和2年) | 103世帯 | [19] |
交通
編集鉄道
編集町内に鉄道は走っていない。最寄り駅は、名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅になる。
バス
編集町内にバスは走っていない。最寄りのバス停は、名鉄バス「しなの線(瀬戸北線)」【1】【1H】【2】【2H】【3】【4】系統、同「本地ヶ原線」【10】【36】【50】【51】【52】系統、同「東山線」【16】【16H】【17H】【18】系統、瀬戸市コミュニティバス「上之山線」の瀬戸駅前バス停になる。
道路
編集愛知県道207号定光寺山脇線 : 町の北端、背戸側町との境を南北に通っている。
施設
編集- 窯神神社[8] : 窯神社。1818年(文化11年)磁祖加藤民吉が製品の完成祈願の為、太宰府天満宮と火具土神を祀ったことに始まる。全国的に知られる「せともの祭」はこの神社の神事であり、民吉の命日にちなんで毎年9月の第2土・日曜日に開催されている[20]。
- 無風庵 : 近代美術工芸家・藤井達吉ゆかりの、茅葺き入母屋作りのギャラリー兼休憩所。藤井と弟子たちが共同工房として使用していた建物を、小原村(現豊田市)から移築[21]。
- 忠魂碑 : 日露戦争に従軍した水野甚蔵が戦友との約束に基き建設をしたもので、最初は瀬戸川と一里塚川との合流点に建てられ、その後記念橋駅の地点へ移り、さらに現在の位置に移転したという[22]。
- 殉国慰霊塔 : 1963年(昭和38年)に建立。毎年、8月15日には市の戦没者追悼慰霊式の一環として、慰霊塔の前に祭壇がしつらえられる[23]。
その他
編集日本郵便
編集脚注
編集出典
編集- ^ “町丁名一覧【連区別】” (PDF). 瀬戸市 (2023年11月2日). 2024年1月5日閲覧。
- ^ a b 瀬戸市 1942.
- ^ “愛知県瀬戸市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2024年2月17日閲覧。
- ^ “瀬戸市の標高&海抜”. 標高海抜ナビ (2018年). 2022年11月23日閲覧。
- ^ a b “人口と世帯 令和6年2月1日現在” (PDF). 瀬戸市 (2024年2月5日). 2024年2月17日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2021年12月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年12月11日閲覧。
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1696.
- ^ “磁祖公園概況資料” (PDF). 国土交通省. 2021年12月11日閲覧。
- ^ “町名別通学学校名一覧” (PDF). 瀬戸市 (2023年9月16日). 2024年1月5日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2021年12月11日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 399.
- ^ 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 2020, p. 157.
- ^ a b 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月11日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月11日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月11日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月11日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月11日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 2022年4月30日閲覧。
- ^ “窯神神社 - Setopedia”. 瀬戸市 (2015年4月6日). 2021年12月11日閲覧。
- ^ “無風庵 - せと・まるっとミュージアム”. 瀬戸市観光協会. 2021年12月11日閲覧。
- ^ “忠魂碑 - Setopedia”. 瀬戸市 (2015年4月6日). 2021年12月11日閲覧。
- ^ “No.506 戦没者追悼慰霊式の開催”. 瀬戸市 (2020年8月18日). 2021年12月11日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2021年12月11日閲覧。
注釈
編集参考文献
編集- 瀬戸市 編『昭和17年1月9日施行 町名設定調書(其ノ一)瀬戸地区』瀬戸市、1942年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 編『郷土史研25周年誌-瀬戸・尾張旭の寺社・街道・地名-』瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会、2020年。