穀良都(こくりょうみやこ)は、1889年明治22年)または1890年(明治23年)に伊藤音一が育成したイネ(稲)の品種[1]在来品種」から系統選抜によって育成された[1]

穀良都
イネ属 Oryza
イネ O. sativa
亜種 ジャポニカ O. s. subsp. japonica
品種 穀良都
開発 伊藤音一
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品種特性

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長稈・無芒で、穂重型[1]分蘖はやや少ない[1]。熟期は中生の「都」より2週間程度早い[1]千粒重は23.6gと大粒[2]。心白は線状で、タンパク質含量は低い[2]。耐病性は強いものの[1]、長稈のため耐倒伏性は弱い[2]

歴史

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育成

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山口県吉敷郡小鯖村(現在の山口市)の伊藤音一によって、「都」より熟期の早い品種を目的に、数年にわたる系統選抜を経て、育成された[1]。育成完了年は、1889年(明治22年)または1890年(明治23年)の2説がある[1]

普及

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「穀良都」は明治20年代から30年代に大阪市場で高く評価され、大正に入ると西日本全域から関東まで広く普及した[1]1915年(大正4年)から1919年(大正8年)にかけては、山口県の奨励品種となった[1]。1919年(大正8年)には、「穀良都」の純系選抜品種も含めた作付面積は、32,226haに達した[1]。また、昭和天皇の即位にあたっての献上米にも選ばれている[1]

韓国併合によって日本統治下に入った朝鮮においても、中部の京畿道以南で広く栽培された[1]。朝鮮での「穀良都」の作付面積は、1923年大正12年)には半島最大の301,218haとなると、1937年昭和12年)まで連続で300,000haを超えた[1]。最盛期の1930年(昭和5年)には460,000haに達している[1]

復活

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山田錦」が普及すると、長稈で耐倒伏性の弱い「穀良都」は姿を消したが、平成に入って、山口県と福岡県でそれぞれ独自に復活されている[2]

影響

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輸出米や酒米としても評価された「穀良都」は、早くから各県が純系選抜品種を育成した[1]2003年(平成15年)には、「西海222号」と交配した「西都の雫」が育成されている[3]

朝鮮半島で収穫された「穀良都」は、大量に内地に持ち込まれ、大阪市場において内地産米を脅かす存在となった[1]。このことが、内地での「」の普及を促すことになったと言われている[1]

1928年(昭和3年)、小鯖村役場(現在の小鯖地域交流センター)に「伊藤音一翁功績碑」が建立された[1]。碑には、「穀良都」の育成経過を記した上で、「防長米ノ声価ヲシテ隆々タラシメタリ」と刻まれている[1]

関連品種

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  • 西都の雫」(「西海222号」を花粉親、「穀良都」を種子親として交配)[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 西尾 & 藤巻 2020, p. 36.
  2. ^ a b c d 副島 2017, p. 34.
  3. ^ a b 副島 2017, p. 38.

参考文献

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  • 副島, 顕子『酒米ハンドブック』(改訂版)文一総合出版、2017年7月31日。ISBN 9784829981535 
  • 西尾, 敏彦、藤巻, 宏『日本水稲在来品種小事典-295品種と育成農家の記録-』農山漁村文化協会、2020年3月20日。ISBN 9784540192203 

関連項目

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