稲葉正親
日本の江戸時代中期の大名。下野大田原藩主一門大田原晴川次男で、江戸幕府旗本稲葉正直及び山城淀藩3代藩主稲葉正恒養子。淀藩4代藩主。従四位下越中守・佐渡守
稲葉 正親(いなば まさちか)は、山城淀藩の第4代藩主。正成系稲葉家宗家8代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄5年(1692年) |
死没 | 享保19年9月14日(1734年10月10日) |
改名 | 正命、正親 |
別名 | 式部 |
戒名 | 大義院 |
墓所 | 京都府京都市右京区花園妙心寺町の妙心寺麟祥院 |
官位 | 従五位下、従四位下、越中守、佐渡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 山城淀藩主 |
氏族 | 大田原氏→稲葉氏 |
父母 |
父:大田原晴川 養父:稲葉正直、稲葉正恒 |
兄弟 | 大田原扶清、正親 |
妻 | 柴田氏(稲葉正直の養女) |
子 | 正益、正福、正明、正名、正春(五男) |
生涯
編集元禄5年(1692年)、大田原晴川(大田原政清の六男)の次男として大田原で生まれる。淀藩の初代藩主稲葉正知の叔父に当たる稲葉正直の養嗣子となる。宝永7年(1710年)4月19日、将軍徳川家宣に御目見する。享保8年(1723年)7月23日、正直の隠居により家督を継いだ。旗本稲葉家は、相模国上・下足柄郡内の新田2000石の所領を持っていた。享保9年(1724年)1月28日、御使番に就任する。同年6月25日、火事場見廻を命じられる。同年12月28日、布衣となる。享保13年(1728年)7月1日、小姓組番頭に就任する。同年12月21日、従五位下・越中守に叙任する。
享保15年(1730年)3月27日、本家の先代藩主稲葉正恒が早世したため、その跡を継いだ。なお、旗本稲葉家は絶家となった。同年5月28日、将軍徳川吉宗に御目見した。享保16年(1731年)6月28日、奏者番に就任した。享保19年(1734年)6月6日、大坂城代に就任し、従四位下に昇進した。同年7月1日、大坂へ赴任の許可を得た。同年9月14日、大坂で死去した。享年43。跡を長男の正益が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 柴田氏(稲葉正直の養女)
子女