神風 (2代神風型駆逐艦)

2代目神風型駆逐艦
神風座礁事故から転送)

神風[注釈 1](かみかぜ)は、日本海軍の2代目神風型駆逐艦1番艦[3]1922年(大正11年)に竣工した[4]。日本海軍の艦名としては1905年(明治38年)竣工の初代神風型駆逐艦神風に続いて2隻目[5]。太平洋戦争中は北方警備、1945年以降は南西方面で輸送や護衛に従事した。ペナン沖海戦、アメリカ潜水艦ホークビルとの死闘を経て、シンガポールで無傷で終戦を迎えた。戦後は特別輸送艦(復員船)となったが、1946年に静岡県沖で座礁し、1947年に解体された。

神風
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 神風型駆逐艦(2代目)
艦歴
発注 1918年度計画
起工 1921年12月15日 [1]
進水 1922年9月25日 [1]
竣工 1922年12月28日 [1]
除籍 1945年10月5日
その後 1945年12月1日特別輸送艦指定
1946年6月7日擱座
1946年6月27日特別輸送艦指定解除
要目
基準排水量 :1,270t
全長 102.6メートル
最大幅 9.2メートル
吃水 2.9メートル
ボイラー ロ号艦本式缶4基
主機 パーソンズ式オールギアードタービン2基2軸 38,500 SHP
最大速力 37.3ノット
航続距離 14ノット/3,600カイリ
乗員 154名
兵装 新造時
45口径三年式12cm砲4基4門
6.5mm単装機銃2門
53センチ魚雷連装発射管3基6門
爆雷投下軌条2基
最終時
45口径三年式12cm砲3基3門
25mm連装機銃8門
25mm単装機銃2門
40mm連装機銃[2]
53センチ魚雷連装発射管2基4門
22号対水上電探
13号水上電探
九三式水中探信儀
九三式水中聴音機
『駆逐艦「神風」電探戦記』(光人社NF文庫 2011年)
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艦歴

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建造~太平洋戦争開戦まで

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1918年(大正7年)、八六艦隊案で一等駆逐艦11隻の建造計画が議会で承認され、当時の主力駆逐艦峯風型駆逐艦6隻と共に峯風型の改良型駆逐艦3隻の建造が予算化された。1920年(大正9年)の八八艦隊案で駆逐艦32隻の建造が承認されると、峯風型以降の駆逐艦名は量産化に対応するため、番号表記に変更された。1921年(大正10年)10月12日、着工を予定する改良型駆逐艦7隻に第一、第三、第五、第七、第九、第十一、第十三駆逐艦の各艦名が与えられ[6][7][8]、第一駆逐艦が12月15日に三菱長崎造船所で起工した。これが後の神風である[1][9]1922年(大正11年)8月24日、第一駆逐艦は艦艇類別等級表に登録された[10][11]。9月25日に進水[1][12][13]。12月28日に竣工し[1]、横須賀鎮守府籍となった[14]

  • 第二から第二十六までの偶数番号は、若竹型駆逐艦に充てられた。

建造当初の第一駆逐艦は基準排水量1270トン、航続距離14ノット3,600カイリ、主砲12センチ単装砲4門、53センチ魚雷連装発射管3基6門で、基本性能は峯風型を上回ったが艦型を含めた抜本的な変更はなかった。1923年(大正12年)1月6日、第一駆逐艦は峯風型駆逐艦3隻(野風波風沼風)の第1駆逐隊に編入され[15]、第3駆逐隊(汐風夕風太刀風帆風)と共に第二水雷戦隊(旗艦:軽巡北上)に所属した[16]。9月1日の関東大震災発生時は、第二水雷戦隊等と共に航海中だったが[17]、救援活動のため各艦と共へ横須賀に戻った[18]1924年(大正13年)4月24日、第一号駆逐艦に改称され[8][19][20]1926年(大正15年)12月1日、同型艦に第一号型駆逐艦の呼称が設けられた[21]

1928年(昭和3年)4月1日、掃海艇となっていた初代・神風が除籍された[22][23]。8月1日、第一号駆逐艦は神風型駆逐艦・神風と改名され[24][25]、同型艦8隻も峯風型同様、すべて風にちなんだ新艦名(朝風〔第三号〕春風〔第五号〕松風〔第七号〕旗風〔第九号〕追風〔第十一号〕疾風〔第十三号〕朝凪〔第十五号〕夕凪〔第十七号〕)が与えられた[8][26]1929年(昭和4年)11月30日から1年間、第1駆逐隊(野風、沼風、波風、神風)は空母加賀第一航空戦隊を編成した[27]1930年(昭和5年)12月1日、第1駆逐隊は第1航空戦隊を外れ、横須賀鎮守府警備艦船予定となった[28][29]。同日から1931年(昭和6年)1月31日まで、駆逐隊司令は小沢治三郎大佐が務めた[30][31]日中戦争では華北、華中の沿岸作戦に従事した[32]1933年(昭和8年)3月3日の昭和三陸地震発生時、神風は横須賀港にあり、第1駆逐隊の野風 ・沼風、第6駆逐隊のと共に同日午後に出港した。野風は4日早朝までに宮城県の気仙沼に着き、救援にあたった[33]

峯風型、神風型の基本設計は続く睦月型駆逐艦でも踏襲されたが、1929-32年にかけて1700トン級の吹雪型駆逐艦24隻が順次竣工し、1936年(昭和11年)にワシントン海軍軍縮条約が失効して駆逐艦の大型化・重武装化が進むと、峯風型・神風型・睦月型の駆逐艦は主力艦隊の護衛や第一線の水雷戦隊から徐々に外れ、近海の警備や哨戒、船団護衛などの後方支援が多くなった。1939年(昭和14年)11月15日に第1駆逐隊(神風、野風、波風)は大湊要港部所属となり、1940年(昭和15年)2月10日に沼風が再編入した[14]。太平洋戦争の開戦時には睦月型以前の駆逐艦は旧式化しており、北洋警備の駆逐艦の代替として建造された占守型海防艦4隻(占守国後八丈石垣)が開戦直前に就役したが[34]、神風など第1駆逐隊は、戦争中期まで北方警備を担い続けた。

太平洋戦争

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1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦時、第1駆逐隊(神風、野風、沼風、波風)は国後、八丈、石垣、駆逐艦沖風等と共に大湊警備府に所属し、千島防備部隊の司令として北海道や千島列島方面の交通保護の任務に従事した[35][36][37][38]。第1駆逐隊は千島厚岸方面哨区の哨戒、海上護衛にあたった[37][39]。また大湊警備府部隊は第五艦隊(軽巡多摩木曾等)と協同し、ソ連の警戒任務に従事した[37]。6月、アリューシャン方面の戦いの支援に当たり、7月から千島東方海面哨区の哨戒に従事する。

10月、アッツ島再占領作戦に参加。同作戦では北方部隊の重巡洋艦「那智」とともに主隊として行動した[40]。10月26日、「神風」は加熊別湾に到着[41]。10月27日に主隊は輸送部隊と共に出撃し、アッツ島への陸軍部隊の揚陸に成功した[42]

11月からは千島東方、津軽海峡方面で船団護衛に従事した。

1943年(昭和18年)前半は宗谷海峡方面、北千島方面の船団護衛に従事した。5月12日、米軍がアッツ島に攻撃を開始してアッツ島の戦いが始まると、神風と沼風は千島方面に出動し、警戒任務に従事した[43]。6月から津軽海峡方面での船団護衛[43]、8月から千島方面での船団護衛に従事した。10月10日、春日均少佐が艦長に就任し[44]、春日は終戦後に神風が退役するまで艦長を務めた。

神風は1944年(昭和19年)2月9日-3月8日まで函館で入渠整備を行い、その後は千島方面での作戦輸送、船団護衛に従事した[14]。9月18日、波風が択捉島沖で米潜水艦の雷撃で大破した。神風と野風が救援活動を行い、神風が波風を小樽まで曳航した[45][46]。波風は第1駆逐隊を外れ、同隊は2隻となった。12月7日から大湊で入渠整備を実施した[14]。26日、第1駆逐隊は対潜水艦部隊の第三十一戦隊の指揮下に入った[47]

1945年(昭和20年)1月10日、神風と野風は連合艦隊附属となり南方進出を命じられて大湊を出港した[14]。1月19日、第1駆逐隊(野風、神風)は瀬戸内海西部伊予灘[48]伊号第十三潜水艦との訓練を実施した[49]。21日、神風は門司に到着した[14]。 その後、第1駆逐隊は門司から鎮海方面、台湾・基隆間など南西方面の船団護衛に従事した[50][51]。 26日、第1駆逐隊はタンカー永洋丸、特設水上機母艦讃岐丸、タンカー東城丸を護衛し、門司を出港してシンガポールへ向かった[51][52]。28日、米潜水艦スペードフィッシュがヒ91船団を襲撃し、海防艦「久米[53]と讃岐丸を撃沈[54]。神風は両艦船の乗員を救助し、生存者を鎮海に送り届けた後、2月3日に基隆に移動した[55][56]。 2月5日、神風と野風は第三十一戦隊の指揮下を離れた[57][58]

2月10日、第1駆逐隊は北号作戦の支援を下令された[59]。13日に馬公を出撃し[14]、14日に第四航空戦隊(戦艦日向、戦艦伊勢、軽巡大淀)、第二水雷戦隊の駆逐艦3隻(初霜朝霜)と合流した[60][61]。旧式の神風、野風は悪天候の中、速力18ノットの戦艦に追尾するのも苦労したという[62]。 2月15日夜、馬祖島で第1駆逐隊は分離された[63]。神風と野風はシンガポールへ向かったが[46][62]、20日に野風はカムラン湾で米潜水艦パーゴの雷撃を受け、沈没した[64]

15日に駆逐艦2隻(汐風朝顔)が第1駆逐隊に編入されたが[65]、燃料不足でシンガポールを拠点とする神風と合流できず、神風は単艦で第十方面艦隊(司令長官福留繁中将)の第五戦隊(司令官橋本信太郎少将、重巡羽黒足柄)附属となった[66]

ペナン沖海戦

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5月7日(14日とも)[67][68]アンダマン諸島輸送作戦のため、神風と羽黒は燃料と物資を満載してシンガポールを出港した[69][70]。神風は積み荷を増やすために魚雷を降ろし、魚雷発射管を撤去していたという[71][72]。15日にB-24重爆1機に触接され、偵察機からの報告で羽黒と神風は一旦反転したが[72]、英第26駆逐隊の駆逐艦5隻は夜戦を仕掛けることを計画した[71]。16日午前1時頃、羽黒と神風と英軍駆逐艦5隻が遭遇し、ペナン沖海戦が勃発した[71][73]

  • 春日艦長は羽黒からの指示がなかったことについて「士気の低下、緊張の欠如から来た油断」と指摘している[71]

神風は被弾して27名が戦死、14名が重傷を負った[71]。羽黒は応戦したが、甲板に物資が満載されて砲塔の旋回もできず、まもなく被弾・被雷して大火災となった[74][75]。混乱する中、神風は羽黒から機銃の誤射を受け、「ワレカミカゼ」と発光信号を送った[73]。神風は2時50分、レーダーが捉えた陸地の方向に進んで戦場を離脱したが、羽黒は集中砲火を浴びて沈没した[76][77]。神風はペナンに退避し陸揚げ作業と燃料補給の後、会戦した海域に戻って駆潜艇57号と共に羽黒の乗員約320名を救助したが[73][78]、橋本少将、杉浦嘉十羽黒艦長らは戦死した[69]。17日、シンガポールに到着した[72]

バンカ海峡での戦闘

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6月4日、輸送任務のため重巡足柄とシンガポールを出港した。翌日バタヴィアに到着し、陸軍兵(足柄約1200名、神風約400名)と物資を搭載[71]。7日、シンガポールに向け出港した[79]。英潜水艦トレンチャントは米潜水艦から日本艦隊バタビア入港の情報を得てバンカ海峡北口附近で待ち受け、英潜水艦スティジァンも同海峡に配置された[80]。8日、スティジァンは先行した神風を雷撃したが回避され、逆に追尾・攻撃された[80]。スティジァンは帆を張ってジャンク船に偽装し、ジャンク船団の群に紛れたという[79][71]。同日12時15分頃、バンカ海峡北側でトレンチャントが足柄を撃沈した[81]。神風は足柄の三浦速雄艦長を含む乗員853名と陸兵400名を救助し、シンガポールに入港した[79]。シンガポールには大破した重巡妙高と重巡高雄が停泊していたが、行動可能な駆逐艦以上の戦闘艦艇は神風1隻となった。

6月中旬から仏印方面輸送に2回従事した[14]。18日、第4号掃海艇と共にタンカー1隻を護衛、シンガポールを出撃して仏印西岸ハッチェンに向かった。20日、B-24爆撃機六機が襲来し、タンカーは炎上・航行不能となった。神風も至近弾で少量の浸水被害を受け、タンカーの乗員を収容後、22日にシンガポールに戻った[82]

米潜水艦ホークビルとの闘い

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1945年(昭和20年)7月15日、「神風」は特設掃海艇3隻と共に「第三菱丸」(850トン)他2隻の油槽船を護衛してシンガポールから仏印のハッチェンへ向かった[83]。 18日昼過ぎに連合軍の潜水艦の跳梁するマレー半島テンゴール岬沖(北緯04度10分 東経106度30分 / 北緯4.167度 東経106.500度 / 4.167; 106.500[84])に差しかかったため、輸送船は陸地に近づいて航行し、神風は沖に出て之字運動を開始した[85][86]

米潜水艦ホークビルが船団を発見し、神風を攻撃目標に艦首から魚雷6本を発射した[87] [88][86]。しかし潜望鏡やソナーでホークビルを探知していた神風は回避し、魚雷は神風の両側を通過した[89]。20分後、神風がホークビルとの距離を800メートルまで縮めたところで、ホークビルは艦尾から魚雷を3本発射[87][88][86]。ホークビルは命中を確信し、潜望鏡を上げて確認しようとしたが、神風はこの攻撃も回避した。魚雷1本は、神風の左舷2-3メートルの海中をかすめたという。ホークビルは神風の至近を潜望鏡深度で通過した[89][86]

神風が爆雷を投下し、損傷したホークビルは急浮上して、艦首を海上に急角度で突き出した[86]。神風は艦尾の40ミリ連装機銃で攻撃し、ホークビルのスキャンランド艦長は5インチ砲での海上砲撃戦を覚悟した[2][90][86]。しかし急速注水に成功し、ホークビルは深度33メートルの海底に沈座した。神風は19時過ぎまで爆雷攻撃を繰り返した後、海面の木片や油膜から撃沈確実と判断し、船団を追って海域を退去した[91][86]。ホークビルは日付が19日に変わってすぐに浮上したが[92][90]、ジャイロコンパス、温度計、減速装置、無線装置、音響兵器などが故障したため、スービック湾で修理を行った。帰投中に再び神風が護衛する輸送船団と遭遇したが、戦闘は起きなかった[93]

神風の敢闘はアメリカ海軍から高く評価され、スキャンランド艦長は1953年(昭和28年)11月、春日艦長に手紙を送った[94][86]。以来、幾度か文通し、スキャンランド艦長は春日を「最も熟練した駆逐艦艦長」[90][88]と称えた。春日は「今思うと、沈めんでよかった。何かこれでほッとした気持です」と述懐した[95][96][97]

その後、油槽船1隻が被雷するが、残り2隻はハッチェンに到着[98]。荷揚げ後、「神風」などの護衛でシンガポールに向かった[99]。途中、船団は大型機3機の攻撃を受けたが、1機を撃墜した[99]

神風は8月15日、シンガポールで終戦を迎えた。

戦後

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1945年(昭和20年)10月5日、日本に帰投し、駆逐艦籍から除籍された[14]。11月中旬、東京で訊問を受ける元第十方面艦隊長官の福留繁と、内地還送人員約400名を乗せてシンガポールを出発した[100][注釈 2]浦賀着後、福留は東京で米国戦略爆撃調査団の聴取を受けた[101]。12月1日、特別輸送艦の指定を受ける。12月20日、神風は再び福留を乗せて本土を出発し、シンガポールに戻った[102][103]。その後、復員輸送に従事した。

1946年(昭和21年)6月4日[104](もしくは6日)夕刻、静岡県御前崎沖にて、サイゴンから浦賀港に向かっていた旧海防艦国後(復員便乗者約500名)が、漁船の灯火を御前埼灯台と誤認して座礁した[105][106]。7日、神風は国後を救出作業中に座礁した[14]。乗員は救助されたが、2隻は潮汐と磯波の影響で海岸側に約15度傾斜した状態となった。旧駆逐艦夏月が曳船による引きおろしを試みたが失敗、神風と国後は2隻とも放棄された[107]。6月27日、特別輸送艦から除籍[14]。7月21日、春日は艦長職を退任した[108]1947年(昭和22年)10月31日、神風の解体は終了した。

公試成績

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状態 排水量(常備) 出力 速力 実施日 実施場所 備考
新造時 1,443トン 40,312馬力 38.67ノット 1922年(大正11年) 全力公試

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』237-239頁による。

艤装員長

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  1. (心得)蒲田静三 少佐:1922年9月20日[109] - 1922年12月1日[110]
  2. 蒲田静三 中佐:1922年12月1日[110] - 1922年12月28日[111]

駆逐艦長

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  1. 蒲田静三 中佐:1922年12月28日[111] - 1924年2月5日[112]
  2. 石川哲四郎 中佐:1924年2月5日[112] - 1924年3月10日[113]
  3. 広岡正治 中佐:1924年3月10日[113] - 1924年12月1日[114]
  4. 白石邦夫 少佐:1924年12月1日[114] - 1925年12月1日[115]
  5. 原顕三郎 少佐:1925年12月1日[115] - 1926年12月1日[116]
  6. 佐藤慶蔵 少佐:1926年12月1日[116] - 1927年5月28日[117]
  7. (兼)帖佐敬吉 少佐:1927年5月28日[117] - 1927年8月10日[118]
  8. 村瀬頼治 少佐:1927年8月10日[118] - 1927年9月15日[119]
  9. (兼)帖佐敬吉 少佐:1927年9月15日[119] - 1927年12月1日[120]
  10. 小林徹理 中佐:1927年12月1日[120] - 1928年12月10日
  11. 長尾惣助 中佐:1928年12月10日[121] - 1929年11月30日[122]
  12. 久宗米次郎 少佐:1929年11月30日[122] - 1930年11月15日[123]
  13. (兼)大森仙太郎 少佐:1930年11月15日[123] - 12月1日[30]
  14. 伏見宮博義王 少佐:1930年12月1日[30] - 1932年5月2日[124]
  15. 田村劉吉 少佐:1932年5月2日[124] - 1933年4月1日[125]
  16. (兼)小林徹理 大佐:1933年4月1日[125] - 1933年5月20日[126]
  17. 小野良二郎 少佐:1933年5月20日[126] - 1933年9月1日[127]
  18. 山口捨次 少佐:1933年9月1日[127] - 1935年10月31日[128]
  19. 谷井保 少佐:1935年10月31日[128] - 1936年10月8日[129]
  20. 渡辺保正 少佐:1936年10月8日[129] - 1937年12月1日[130]
  21. 有本輝美智 少佐:1937年12月1日[130] - 1938年12月15日[131]
  22. (兼)高橋鉄郎 少佐:1938年12月15日[131] -1939年4月1日[132]
  23. (兼)矢野寛二 少佐:1939年4月1日[132] - 1939年9月26日[133]
  24. 高須賀修 少佐:1939年9月26日[133] - 1940年10月15日[134]
  25. 橋本金松 少佐:1940年10月15日[134] - 1942年4月10日[135]
  26. 松本正平 大尉:1942年4月10日[135] - 1943年10月10日[44]
  27. 春日均 少佐:1943年10月10日[44] -

注釈

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  1. ^ 本来の漢字は『示申』だが、環境依存文字のため『神』とする
  2. ^ 福留は『海軍生活四十年』262頁で「11月18日シンガポール発、23日浦賀着」と回想している。

参考文献

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  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 福田幸弘『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6 
  • 福留繁『海軍生活四十年』時事通信社、1971年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦』朝雲新聞社
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書46 海上護衛戦』朝雲新聞社、1971年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 本土方面海軍作戦』 第85巻、朝雲新聞社、1975年6月。 
  • レオンス・ペイヤール、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945』早川書房、1973年12月。 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 軽巡I 天龍型・球磨型・夕張・長良型』 第8巻、光人社、1990年3月。ISBN 4-7698-0458-X 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 駆逐艦I 睦月型・神風型・峯風型』 第10巻、光人社、1990年5月。ISBN 4-7698-0460-1 
  • 雑誌『丸』編集部 編『ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4 
  • 丸編集部編『重巡洋艦戦記 私は決定的瞬間をこの目で見た!』光人社、2010年11月。ISBN 978-4-7698-1485-6 
    • 元羽黒砲術長・海軍中佐浅井秋生『歴戦艦「羽黒」マラッカ海峡に消ゆ』
  • 「丸」編集部『駆逐艦戦記 駆逐艦「神風」電探戦記』光人社、2011年7月。ISBN 978-4-7698-2696-5 
    • 最新鋭電波兵器を駆使して海戦を生きぬいた四年間―雨ノ宮洋之介『駆逐艦「神風」電探戦記』
  • 森田友幸『25歳の艦長海戦記 駆逐艦「天津風」かく戦えり』光人社、2000年3月。ISBN 4-7698-0953-0 
  • 吉田俊雄「出撃の時―駆逐艦神風の勇戦敢闘」『造艦テクノロジーの戦い 科学技術の頂点に立った連合艦隊軍艦物語』光人社NF文庫、1995年(原著1989年)。ISBN 4-7698-2103-4 
  • 吉田俊雄「傑作条約艦ペナン沖に消ゆ―重巡洋艦「羽黒」」『悲劇の軍艦 海軍魂を発揮した八隻の戦い』光人社NF文庫、2008年6月(原著1966年)。ISBN 978-4-7698-2361-2 
  • 歴史群像編集部編「雨倉孝之 人物抄伝/太平洋の群像 駆逐隊司令・駆逐艦艦長列伝(1)」『水雷戦隊I 特型駆逐艦 米英を震撼させたスーパー・デストロイヤーの全貌』学習研究社〈歴史群像太平洋戦史シリーズ Vol.18〉、1998年5月。ISBN 4-05-601768-9 
  • SS-366, USS HAWKBILL(issuuベータ版)
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正10年達完/10月』。Ref.C12070079300。 
    • 『大正11年達完/8月』。Ref.C12070080800。 
    • 『大正11年達完/9月』。Ref.C12070080900。 
    • 『大正13年達完/4月』。Ref.C12070083400。 
    • 『昭和3年達完/6月』。Ref.C12070089800。 
    • 『第1駆逐艦(神風)製造一件』。Ref.C08050444400。 
    • 『第1411号 昭和3年12月20日 昭和4年度艦船役務予定表の件』。Ref.C11080470500。 
    • 『第1406号 昭和4年12月11日 昭和5年度艦船役務予定表送付の件』。Ref.C11080482500。 
    • 『官房機密 第1310号 14.12.15昭和6年(教育)年度艦船役務予定の件』。Ref.C05021175900。 
    • 『艦艇/駆逐艦(1) 恩給叙勲年加算調査 上巻 参考法例 在籍艦艇 昭和9年12月31日』。Ref.C14010003300。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。 
    • 『昭和11年12月1日現在10版内令提要追録第1号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。Ref.C13071968200。 
    • 『昭和14年6月1日現在10版内令提要追録第5号原稿 巻3追録/第13類艦船(1)』。Ref.C13071983400。 
    • 『第2647号 6.8.19大湊要港部所属1等駆逐艦(峯風、神風型)に毎年21錨鎖各2節宛貸与の件』。Ref.C05021614900。 
    • 『太平洋戦争に於ける護衛作戦の梗概 昭和16.12~20.8/別紙第1~第3』。Ref.C16120709200。 
    • 『昭和19年9月~昭和20年7月 武装商船警戒隊戦闘詳報 船名 アの部~ソの部まで(3)』。Ref.C08030691900。 
    • 『昭和18年6月1日~昭和18年7月31日第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030084400。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和20年6月15日 第11潜水戦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030129200。 
    • 『昭和20年2月10日~軍艦大淀戦闘詳報』。Ref.C08030578500。 
    • 『昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030074800。 
    • 『昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030074900。 
    • 『私の観た日本内地の状況と感想 昭和20年12月29日』。Ref.C14110797800。 
    • 『復員輸送資料 其1(1)』。Ref.C14020252800。 
    • 『復員輸送資料 其1(2)』。Ref.C14020252900。 
    • 『復員輸送資料 其1(3)』。Ref.C14020253000。 
    • 『復員輸送資料 其1(4)』。Ref.C14020253100。 
    • 『復員輸送資料 其1(5)』。Ref.C14020253200。 
    • 『復員輸送資料 其2』。Ref.C14020253300。 

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f #艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.4「神風|(艦性能略)|三菱長崎造船所|10-12-15|11-9-25|11-12-28|(武装略)」
  2. ^ a b 『戦史叢書46』481ページ
  3. ^ #艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3「艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪」
  4. ^ 日本軍艦集2600年版p.47「一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。」
  5. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.159「神風型(九隻)」
  6. ^ #達大正10年10月pp.11-12「達第百九十號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦七隻二等驅逐艦十隻及一等掃海艇六隻ニ左ノ通命名ス 大正十年十月十二日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|一等驅逐艦七隻 第一驅逐艦 第三驅逐艦 第五驅逐艦 第七驅逐艦 第九驅逐艦 第十一驅逐艦 第十三驅逐艦(略)」
  7. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.207「◎第一驅逐艦外十六隻及第一掃海艇外五隻命名ノ件 大正十年十月十二日(達一九〇)軍費補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦七隻二等驅逐艦十隻及一等掃海艇六隻ニ左ノ通命名ス」
  8. ^ a b c #艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3「驅逐艦改稱新舊名稱對照表 |驅逐艦名前|神風カミカゼ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第一號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)第一驅逐艦」
  9. ^ #神風製造一件p.2「(発信、受信略)第一驅逐艦十二月十五日午后三時半起工セリ。」
  10. ^ #達大正11年8月p.12〔達第百五十四號 艦艇類別等級別表中巡洋艦二等ノ欄「神通」ノ次ニ「、夕張」ヲ、驅逐艦一等ノ欄「波風」ノ次ニ「、第一」「、第五」「、第七」「、第九」「、第十一」「、第十三」ヲ、同二等ノ欄「蓼」ノ次ニ「、第二」「、第四」「、第六」「、第八」「、第十」「、第十二」「、第十六」「、第十八」ヲ加フ 大正十一年八月二十四日 海軍大臣男爵 加藤友三郎」
  11. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.59「大正十一年八月二十四日(達一五四)」
  12. ^ #神風製造一件p.3「(発信、受信略)第一驅逐艦本日(九月二十五日)午前十時四十分無事進水セリ。」
  13. ^ 大正11年9月26日(火)海軍公報 第2991号 p.23」 アジア歴史資料センター Ref.C12070283100 「○驅逐艦進水 長崎三菱造船所ニ於テ建造ノ第一驅逐艦昨二十五日午前十時四十分進水セリ」
  14. ^ a b c d e f g h i j k #ハンディ判艦艇写真集18p.93(駆逐艦『峯風型・神風型・睦月型』行動年表)
  15. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.60「大正一一.一二.一(内令四三三)|横須賀鎮守府|第二艦隊|第一驅逐隊|野風、沼風、波風|第一(一二.一.六 一)」
  16. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.38「大正一一.一二.一(内令四三三 四三七)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 金剛 比叡 霧島/第五戰隊 名取 長良 鬼怒/第二水雷戰隊 北上 第一 第三驅逐隊/第二潜水戰隊 矢矧 韓崎 第十四 第十六潜水隊」
  17. ^ 大正12年8月29日(土)海軍公報 第3265号 pp.11-12」 アジア歴史資料センター Ref.C12070288400 「○艦船所在○八月三十日午前十時調【航海中】」
  18. ^ 大正12年9月13日(木)海軍公報 第3269号 pp.8-9」 アジア歴史資料センター Ref.C12070288500 「○艦船所在○九月十三日午前十時調【横須賀】」
  19. ^ #達大正13年4月p.17「達第四十九號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦及掃海艇ノ欄中「第一、第二」等トアルヲ「第一號、第二號」等ニ改ム/備考第二號中「第一驅逐艦」「第二驅逐艦」ヲ「第一號驅逐艦」「第二號驅逐艦」ニ改ム/同三號中「第一掃海艇」「第二掃海艇」ヲ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」ニ改ム 大正十三年四月二十四日 海軍大臣 村上格一」
  20. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.60「大正十三年四月二十四日(達四九)」
  21. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64-65「◎艦艇類別等級 大正十五年十一月二十九日(内令二三八)艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表)」-「驅逐艦|一等|第一號型|第一號、第三號、第七號、第九號、第十一號、第十三號、第十五號、第十七號」-「驅逐艦|三等|白露、三日月」
  22. ^ #除籍駆逐艦(2)pp.34-38「舊神風(千噸以下)(略)(大正一三.一二.一驅逐艦神風掃海艇籍ニ入ル昭和三年四月一日掃海艇籍ヨリ除カル)」
  23. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66〔昭和三年四月一日(内令九〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ部海防艦二等ノ項中「千歳、明石、」ヲ、砲艦一等ノ項中「最上、」ヲ削ル|驅逐艦三等ノ項中「白露型」及「白露、三日月」ヲ削ル|掃海艇ノ部中「潮型」ヲ「浦波型」ニ改メ同部中「潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響」及「、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ削ル〕
  24. ^ #達昭和3年6月pp.7-8「達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 神風カミカゼ トス」
  25. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.208「◎驅逐艦及掃海艇中改名ノ件 昭和三年六月十二日(達八〇)驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 第一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦神風カミカゼ トス(以下略)」
  26. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66〔昭和三年六月二十日(内令一六〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九号型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム |神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪〕
  27. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.43「昭和四.一一.三〇(内令二七五)|聯合艦隊|第一艦隊|第一戰隊 伊勢 山城 榛名 陸奥/第二戰隊/第三戰隊 川内 由良 長良/第一水雷戰隊 那珂 第十三 第十五 第十六 第二十七驅逐隊/第一潜水戰隊 迅鯨 第二十四 第二十六潜水隊|昭和四年 聯合艦隊 四.一(内令八四)赤城 鳳翔 第四驅逐隊(一航戰)/一一.三〇(内令二七八)加賀 第一驅逐隊(一空戰)|昭和四年 聯合艦隊 一一.三〇(内令二七八)赤城 第四驅逐隊(一空戰)|四.一 當分ノ間聯合艦隊附属艦船ノ一部ヲ以テ第一航空戰隊ヲ編制セラル(内令八五)」
  28. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.43-44「昭和五.一二.一(内令二二八)(略)|昭和五年 聯合艦隊 一二.一(内令二三二)赤城 第二驅逐隊(一空戰)|昭和五年 聯合艦隊 一二.一(内令二三二)加賀、第一驅逐隊(一空戰)、第一掃海隊」
  29. ^ #昭和6年度艦船役務予定表p.15「警備艦船|横須賀|北上〔八(一二)〕、一驅(野風沼風波風神風)〔七(一二)〕」
  30. ^ a b c 昭和5年12月2日(火)官報第1179号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ10、11
  31. ^ 昭和6年2月3日(火)官報第1227号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ6
  32. ^ #艦艇・駆逐艦(1)pp.16-17「神風」
  33. ^ 伊藤大介「昭和三陸津波と軍隊」、山本和重・編『北の軍隊と軍都』(地域の中の軍隊1 北海道・東北)、吉川弘文館、2015年、218頁。
  34. ^ 戦史叢書85巻10-12頁
  35. ^ #梗概別表1-3p.2〔別紙第一、開戰當初(昭和十六年十二月八日現在)〕「大湊警備府」
  36. ^ 戦史叢書85巻25-26頁「挿表第一 内戦部隊戦時編制」
  37. ^ a b c 戦史叢書85巻41頁「大湊警備府部隊」
  38. ^ 戦史叢書85巻43頁「大湊警備部兵力部署」
  39. ^ #造艦テクノロジーの戦い262頁
  40. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、346ページ
  41. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、370ページ
  42. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、347、371ページ
  43. ^ a b 戦史叢書85巻、153-155頁
  44. ^ a b c 昭和18年10月13日(発令10月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1237号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800 p.5
  45. ^ #駆逐艦物語194頁
  46. ^ a b 陽炎型(2014)260-262頁
  47. ^ #S1912三一戦隊日誌(1)p.6、p.62
  48. ^ #S1812十一潜戦(5)p.30「一月麾下艦船行動表」(昭和20年1月分)
  49. ^ #S1812十一潜戦(5)p.34「一月十八日2F参謀長|一四四五 (将旗)11SS(呉潜戰、11Sd司令官、伊13、神風、野風)|2F機密第一八一〇三五番電 1dg(野風、神風)ハ近ク出撃豫定ノトコロ一月十九日左ニ依リ伊一三潜ヲシテ〇九三〇ヨリ一一〇〇頃迄同隊ノ対潜訓練ニ協力方取計相成度 御都合返|同(無電)」/「一月十八日(将旗)11SS機密第一八一六〇五番電 伊一三潜ハ2F長官ノ指揮ヲ承ケ2F機密第一八一〇三五番電ノ訓練ニ協力スベシ|同(無電)」
  50. ^ 歴史群像、特型駆逐艦183-185頁
  51. ^ a b #造艦テクノロジーの戦い267頁
  52. ^ 八人武人生涯18頁
  53. ^ 海防艦激闘記、234頁「久米(くめ)」
  54. ^ #駆逐艦物語195頁
  55. ^ 日本海防艦戦史289頁「付表第二 海防艦喪失一覧・久米」
  56. ^ #S1912三一戦隊日誌(2) p.6、p.14
  57. ^ #S1912三一戦隊日誌(2)p.17「五日〇九五八(長官)GF(宛略)|GF電令第六二七號 一.第一驅逐隊(神風野風)汐風朝顔ヲNSBヨリ除キGF附属トス/二.第一驅逐隊 汐風朝顔ハ準備出来次第出港船團護衛ニ從事シツツ昭南方面ニ進出スベシ 右進出行動中ノ護衛竝ニ運航ニ関シテハ海上護衛司令長官ノ指揮ヲ承クベシ」
  58. ^ #S1912三一戦隊日誌(2)p.38「五(略)一.本日附31Sヲ高警部隊ニ編入セラル 二.一駆(神風野風)汐風朝顔ヲ作戰指揮下ヨリ除カル」
  59. ^ #S20大淀戦闘詳報p.40「十日一四二五(長官)GF(宛略)GF電令作第五一〇號 一.4sf司令官ハ4sf(伊勢日向)大淀2sd(霞朝霜初霜)1dg(神風野風)ヲ指揮シ速ニ昭南ヲ出撃人員重要物資ヲ内地還送作戰ヲ実施スベシ 本作戰部隊ヲ北號作戰ト呼稱ス/二.南號作戰部隊ハ南號作戰ノ要領ニ依リ北號作戰部隊ノ護衛ヲ強化スベシ」
  60. ^ #木俣空母865頁
  61. ^ #S20大淀戦闘詳報p.43「十四日(司令官)4sf(宛略)信令第一九號 警戒航行序列ニ左ヲ追加ス 第八日向伊勢大淀ノ順ニ單縦陣距離一粁霞初霜朝霜夫々日向ノ〇度右八〇度左八〇度一.五粁野風神風夫々伊勢ノ右及左一〇〇度一.五粁」
  62. ^ a b #佐藤 艦長(文庫)337-338頁
  63. ^ #S20大淀戦闘詳報p.9「十五日一九三〇馬祖島泊地ニ假泊朝霜ニ二五〇噸重油ヲ補給シ曩ニ海南島東方海面ニテ護衛隊ニ入リシ第一駆逐隊ト分離シ十六日〇〇〇〇假泊發北上中〇五五六本艦ノ左七〇度方向ニ魚雷音二ヲ聴知(水測)セルヲ以テ急速單独回避ヲ行フト共ニ信號弾ヲ以テ僚艦ニ通報シ之ヲ後方ニ躱シ得タリ」
  64. ^ #叢書46海上護衛戦446-447頁「米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表」
  65. ^ 昭和20年2月21日(水)海軍公報第4938号 p.22」 アジア歴史資料センター Ref.C12070504000 〔内令第一三六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年二月十五日 海軍大臣 第一驅逐隊ノ項中「神風」ノ下ニ「、汐風、朝顔」ヲ加フ〕
  66. ^ #造艦テクノロジーの戦い268頁
  67. ^ #撃沈戦記(2013)191頁
  68. ^ #悲劇の軍艦204-205頁
  69. ^ a b 八人武人生涯20-22頁
  70. ^ #サイパン・レイテ海戦記8頁(羽黒通信長によれば9日出撃、約一週間マラッカ海峡で偽装行動)
  71. ^ a b c d e f g #佐藤 艦長(文庫)338-347頁
  72. ^ a b c #ハンディ判艦艇写真集18p.99
  73. ^ a b c #駆逐艦物語196-199頁
  74. ^ #サイパン・レイテ海戦記9頁
  75. ^ #重巡洋艦戦記(2010)263頁
  76. ^ 重巡十八隻202-205頁
  77. ^ #重巡洋艦戦記(2010)264-265頁
  78. ^ #撃沈戦記(2013)196頁
  79. ^ a b c 八人武人生涯23-24頁
  80. ^ a b #潜水艦戦争401-402頁
  81. ^ #重巡洋艦戦記(2010)24-25頁
  82. ^ #叢書46海上護衛戦481頁
  83. ^ 駒宮真七郎『続・船舶砲兵』17-18ページ
  84. ^ 『駆逐艦神風』133ページ
  85. ^ 八人武人生涯26頁
  86. ^ a b c d e f g h #佐藤 艦長(文庫)347-355頁
  87. ^ a b 「SS-366, USS HAWKBILL」p.190-191
  88. ^ a b c 『駆逐艦神風』p.60-61
  89. ^ a b 『戦史叢書46』p.481
  90. ^ a b c 『駆逐艦神風』p.61-62
  91. ^ #駆逐艦物語199頁
  92. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.176
  93. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.177、188
  94. ^ 八人武人生涯29頁
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  96. ^ #佐藤 艦長(文庫)355-356頁
  97. ^ 八人武人生涯30頁
  98. ^ 駒宮真七郎『続・船舶砲兵』18-19ページ
  99. ^ a b 駒宮真七郎『続・船舶砲兵』19ページ
  100. ^ 福留繁 1971, p. 262.
  101. ^ 福留繁 1971, pp. 266–270.
  102. ^ 福留繁 1971, p. 270.
  103. ^ #内地・福留p.1「私ハ東京ニ於テ米側ノ訊問ヲ受ケル爲ニ英司令部ヨリ上京ヲ命ゼラレ去ル十一月二十八日旧駆逐艦神風ニ乗艦シテ新嘉坡ヲ出發シ十二月八日浦賀到着翌九日ヨリ十九日迄東京ニ於テ訊問ヲ受ケ二十日再ビ神風ニ乗艦浦賀ヲ出發本二十九日當地ニ皈着セリ」
  104. ^ 日本海防艦戦史292頁「付表第二 海防艦喪失一覧/太平洋戦争終了後・国後」
  105. ^ 八人武人生涯28-29頁では6月4日とする
  106. ^ 最後のネイビーブルー79頁
  107. ^ 最後のネイビーブルー236-237頁
  108. ^ 昭和21年8月2日(発令7月21日付)復員廰第二復員局辞令公報(甲)第37号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072159500 
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  110. ^ a b 大正11年12月2日 官報第3043号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ10
  111. ^ a b 大正11年12月29日 官報第3125号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ17
  112. ^ a b 大正13年2月6日 官報第3434号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ9
  113. ^ a b 大正13年3月11日 官報第3462号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ2
  114. ^ a b 大正13年12月2日(火)官報第3648号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ11第1駆逐隊司令交代・広岡免職、コマ12白石補職
  115. ^ a b 大正14年12月2日(水)官報第3982号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ7岩村免職 コマ8池田補職・白石免職、コマ9原補職
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  117. ^ a b 昭和2年5月30日(月)官報第123号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ4
  118. ^ a b 昭和2年8月11日(木)官報第186号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ4
  119. ^ a b 昭和2年9月16日(金)官報第217号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ6
  120. ^ a b 昭和2年12月2日(金)官報第279号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ8
  121. ^ 昭和3年12月11日(火)官報第587号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ8
  122. ^ a b 昭和4年12月2日(月)官報第878号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ12、13
  123. ^ a b 昭和5年11月17日(月)官報第1166号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ3
  124. ^ a b 昭和7年5月3日(火)官報第1599号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ55
  125. ^ a b 昭和8年4月4日(火)官報第1875号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ5、6
  126. ^ a b 昭和8年5月22日(月)官報第1914号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ5
  127. ^ a b 昭和8年9月2日(月)官報第2003号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ5
  128. ^ a b 昭和10年11月2日(土)官報第2651号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ4
  129. ^ a b 昭和11年10月9日(金)官報第2933号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ8
  130. ^ a b 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報号外 第99号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700  p.35、38
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  132. ^ a b 昭和14年4月1日(発令4月1日付)海軍辞令公報(部内限)第321号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075600 
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  134. ^ a b 昭和15年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第543号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 p.42、47
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関連項目

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